ノーモア 山口仙二さんが遺したもの 中

核廃絶を求めて署名活動をする高校生=7日、長崎市の鉄橋

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ノーモア 山口仙二さんが遺したもの 中 若者たち 託された平和の志 継承 「廃絶の声大きくしたい」

2013/07/10 掲載

ノーモア 山口仙二さんが遺したもの 中

核廃絶を求めて署名活動をする高校生=7日、長崎市の鉄橋

若者たち 託された平和の志 継承 「廃絶の声大きくしたい」

長崎原爆被爆者の故山口仙二さんと、高校生1万人署名活動実行委の出会いは2008年4月、山口さんが暮らす雲仙市内のケアハウスだった。被爆証言のDVD収録のため訪れたメンバーを山口さんは笑顔で迎えた。「君たちみたいな高校生に頑張ってほしい」

12分弱の証言DVDが残された。画面の中の山口さんは、学徒動員先で上半身裸で作業をしていた時、約4千度の熱線を浴びたこと、就職したくても被爆を理由に採用されなかった差別など、被爆とその後の苦難を懸命に語っている。

当時実行委で今は長崎市内の専門学校に通う山口穂乃佳さん(22)は「つらい経験を話してくれたのは高校生の活動を喜んでくれたからだと思う」と振り返る。

「小さいから力がないのではない。継続することで世界に広がっていく」-。山口さんの証言は、若者たちへの大きな期待と、平和の志を託さなければという思いにあふれている。

ただ、熱心に活動した同実行委メンバーでも卒業後、継続して平和活動に関わることは難しい。社会に出れば就職難、低賃金、長時間労働など厳しい現実が待っている。当時の実行委で市内で働く山道あかねさん(22)は仕事が忙しく平和活動はしていない。穂乃佳さんも時間がないという。

同実行委責任者の平野伸人さん(66)は、それでいいと思っている。「社会人は仕事優先で当然。実行委を通して弱い立場に寄り添う大事さは学んだはず。余裕ができた時に活動すれば良いし、そうでなくても長い人生に少しは反映される。そんな人が増えることが一番重要」と話す。

山口さんが亡くなった翌7日。山口さんと会ったことのない今年の実行委メンバー約20人は、市中心部で定例の核兵器廃絶の署名活動をしていた。いつもと変わらない光景だが、高校生なりに山口さんの死を受け止めて、臨んでいた。

「実行委と関わりのあった山口さんが亡くなったのはショック。でも被爆者の高齢化に伴って核廃絶の声が小さくなるのなら、私たちが大きくしていく」。活水高3年の麻生こころさん(17)はしっかりとした口調で語った。