被爆者 “いなくなる時代”予感 最後の世代 継承どう担う
「あなたの存在は被爆者運動にとっての象徴だった」-。長崎の被爆者、山口仙二さん(82)=6日死去=の葬儀は8日、雲仙市小浜町で執り行われ、約110人が参列。若き日の遺影に向かい、共に活動した長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の谷口稜曄さん(84)は、万感の思いを込めて弔辞。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)事務局長の田中煕巳さん(81)も「大きな宝を失った」と読んだ。山口さんの長女、野田朱美さん(53)は「私たちはお父さんが大好きでした」とあいさつし、参列者は涙をぬぐった。
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葬儀の後、長崎被災協事務局長の山田拓民さん(82)は、長崎に帰る車内で昔のことを思い出していた。教員時代、被災協会長(当時)の山口さんに事務局長を突然頼まれたこと、被爆者運動の基本を教えてもらったこと。最盛期は会員が1万人以上いて、役員会には北松や五島からも出席し会議後は飲み屋で語り合ったこと。全てが懐かしい。今、被災協は3千人台。五島から来る役員はもういない。皆、亡くなっていった。「再来年の被爆70年を過ぎたらね、もたんのじゃなかろうかっていう気がするよ」。そうつぶやいた。
長崎市によると市内の被爆者健康手帳所持者は3月末、3万7574人(平均年齢78・23歳)。10年間で1万2千人以上減り、年齢は80歳に近づいている。
被爆者がいなくなる時代が来る。反核、援護運動の中心的存在だった山口さんの死は、被爆者を軸に核廃絶運動などを進めてきた被爆地が大きな節目にあることを予感させる。だが、被爆による被害、空前の惨状の記憶を起点とした平和希求の思想を継承する取り組みは、まだ始まったばかりだ。一方で、前面には立ってこなかった胎児や幼少期の被爆者すなわち被爆の記憶が薄かったり全くない70歳前後の”最後の”被爆者たちの役割は今後、増す。
4歳のころ被爆でやけどを負った長崎市の小峰秀孝さん(72)の原爆の記憶は、自身のケロイドと後年の差別。だが同世代以下の被爆者は何をどう担っていくのか。その問いには「まだ見えない」と語る。
長崎被災協理事の池田早苗さん(80)は、被爆の記憶のない被爆者や被爆2、3世と一緒に原爆や核兵器のことを学び、人前で語ってもらう機会を増やそうと考えている。「(山口さんに)早く引き継ぐ準備をしろと言われている気がするんです」