絶望から希望へ 林京子さんに聞く 下

「あの8月9日に、人間は命一つあれば十分と思った」と話す林京子さん=神奈川県逗子市の自宅

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絶望から希望へ 林京子さんに聞く 下 救いは人間の中にある 脱原発デモに光明

2012/08/09 掲載

絶望から希望へ 林京子さんに聞く 下

「あの8月9日に、人間は命一つあれば十分と思った」と話す林京子さん=神奈川県逗子市の自宅

救いは人間の中にある 脱原発デモに光明

〈原発事故後、絶望に打ちひしがれていた林さん。救ってくれたのは「人間」だった〉 原発事故後の初夏に日傘を差して歩いていたんです。すると交差点で赤い風船が道路にポンポンと出てきました。見ると、お母さんが押している自転車のかごに二つぐらいのお嬢さんが乗っていて、彼女の手から離れたんですね。車がどんどん行くところだから、私は傘で風船をヒュッと引っかけて取り、お嬢さんの手にひもを巻き付けてあげました。

いいことをした、と思い歩きだすと、私の横から車が1、2、3台と行き始めたんです。全然気付かなかったんですけど6、7台の車が風船のために待っていたんです。その日は久しぶりに人って信じられる、世の中捨てたもんじゃない、と思いました。

お父さんやお母さんに抱かれている3、4カ月ぐらいの赤ちゃんを見ると、親のどこかを一生懸命つかんでいる。頼れるのはこの人しかない、と。その信頼を裏切ってはいけない。それが一番純粋ですね。いつも原点をそこに求めます。

〈市井の人々に広がる脱原発デモ。林さんも先日、東京・代々木公園であった「さようなら原発10万人集会」に参加し、そこで一筋の光明を見た〉

7月16日の朝にお友だちから「今から代々木に行く」と電話がありました。私は意気消沈してたので、何をしても同じと思い「頭がフラフラして暑さに耐えられないから失礼する」と電話を切ったんです。でも食事が喉を通らない。「ここで行かねば本当に偽善者だ」と思い、急ぎ新宿行きの電車に乗りました。

代々木に着くと、もう人の波です。列にずっと付いて20、30分歩くと、公園も人でいっぱいでした。とにかく現場に行けば参加した意味もあるかと思い、街角に立ち、通り過ぎる人の話を聞きました。

小さな子を抱っこした両親とか、つえを突いた老人とか、集まってきた人が「どういう意識で来たんですか」とお互い聞いているんです。すると「これから生きる子どもたちのために」とか、お年寄りは「自分たちは何をしてきたんだろう。もうひと踏ん張りしたい」などと言ってました。そこに「命」という言葉がたくさん出てきたんです。イデオロギーとかややこしい問題じゃない。自分自身、子どものこと、命の問題。ああ、やっと命まで来たのか、とうれしかった。

人は信用するに足ります。救いは自分の中、人間の中にある。代々木に行って、ああ、ここで救われたと思いました。そういう確かなものは人の中にしかないんです。

尊敬する肥田舜太郎先生(被爆医師)は「希望は庶民の中にある」とおっしゃいました。大江健三郎さんの著書「定義集」の中には、渡辺一夫教授(仏文学者、故人)の「今ある『平和』を良い平和にする苦しさに耐えねば」という言葉があります。胸を突かれる言葉で、良い平和を築く苦しみ、今まさに、その渦中にあると思います。

◎メモ/脱原発デモ

2011年4月、1万5千人が集まった東京・高円寺でのデモが先駆け。ツイッターやフェイスブックなどネット上の呼び掛けに反応し、デモ未経験の若者や親子連れが爆発的に増加。ことし6月29日には首相官邸前に20万人が集まった。7月16日には作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発10万人集会」が東京・代々木公園で開かれ、17万人が参加した。(参加者数は主催者発表)