長崎は命を考える「聖地」 ドイツでの出版に救い
〈福島第1原発事故の後、林さんの文学の総決算といえる「長い時間をかけた人間の経験」がドイツで緊急出版された。核兵器と原発を同じ問題としてとらえる姿勢に林さんは感動した〉
原発事故後は本当に絶望していましたから、ドイツの出版社から話を伺った時は「基本で考えられる人たちも世の中にいる」と思い本当に救われました。
ドイツはアウシュビッツのことを徹底的に追及しましたね。「祭りの場」を書く前、強制収容所にとらわれた人々の毛髪で編まれた毛布を見ました。ドイツは戦後、毛布を編んだ工場を追及し工場名を発表したそうです。誰が命令し、どうしてユダヤ人狩りが行われたのか、どこまでも追い掛けて罪をあがなわせた。人間の命の問題ですから。あいまいにしていい問題と、そうじゃないことがあるんですよね。
原爆や戦争を体験したから、絶対に平和主義とか戦争反対とか、そんなものではありません。戦争を知らなくても関心を持つ若い人はいます。体験ではなく、その人間の意識の持ち方だと思います。被爆者がいなくなったら誰が原爆のことを伝えるのか、とよく言われますが、そんなに問題ではないと思います。きちんと伝える人はいます。青来有一さんのように。
痛みが薄れてゆくのは確かですよね。それをどういうふうに自分の中で理解するか、消化してゆくかということは体験には関係ないと思います。そんな若い人たちが一握りでもいいからいてくれれば。
〈学徒動員先の工場で被爆し地獄のような惨状を目の当たりにした林さん。長崎は「聖地」だと言う〉
三菱兵器大橋工場から(現在の)平和公園辺りをずっと逃げているんですよね。そして山に出て、金比羅山の斜面を西山へ向かってずっと逃げました。農家が点在していた場所は畑も木もなく、焼けただれた人たちが土の上に横たわっていました。あの土地は何万人もの被爆者の血を吸ってるんです。
1999年に米国ニューメキシコ州の「トリニティ・サイト」(世界初の核実験が行われた場所)を訪ねました。本当に物音一つしない無音の世界。体がガタガタ震えました。すべての生物が一瞬の間に沈黙し、生命を生み出さない大地になったんです。私は人間が最初の被爆者と思っていましたが、そうではなかった。ものすごい衝撃でした。「おまえたち、こんなことしたんだぞ」と言われている気がしました。
トリニティは人が反省する場所だと思います。長崎も同じですね。神の領域、生命を生み出す場所にまで踏み込んでしまった人間の傲慢(ごうまん)さ。長崎は本当に受難の地ですよね。謙虚に、単に死者の追悼でなくて、命とか人間の在り方を考える場所だと思います。そういう意味で「聖地」という言葉が頭に浮かんでくるんです。
◎メモ/「長い時間をかけた人間の経験」
雑誌「群像」1999年10月号に発表した中編小説。被爆者として亡くなった同級生や恩師を鎮魂するため「観音札所三十三カ所巡り」をした経験を描く。平和公園で出会った被爆女性との対話や、放射性物質が生命にもたらす深刻な影響が盛り込まれ、重層的な構成になっている。短編「トリニティからトリニティへ」を収めて2000年9月刊行。同年の第53回野間文芸賞を受賞。