何も学んでいなかった国 「原発戦争」恐れる
長崎で被爆した作家林京子さん(81)は自らの体験を基に、放射性物質により傷つけられ脅かされる命の問題について書き続けてきた。だが願いむなしく、原発事故はまたも国民に「被ばく」の現実を突きつけた。長崎は被爆地として、「あの日」の原点を見つめ直す必要があるのではないだろうか。林さんの言葉に耳を傾けた。
〈世界で唯一の被爆国でありながら放射性物質についてほとんど知識がない。原発事故で露呈した意識の低さに林さんは絶望した〉
私は子どもを育てている段階で被爆は自分だけの問題じゃないと痛切に分かりました。子どもにどんな影響が出るか、その方が問題でした。放射性物質を吸い込んだ肉体は次々に影響が出る。原爆は単なる兵器じゃない。後々まで人類にどう響くか。自分だけの問題なら私は書いていません。
でも内部被ばくの問題は無視されました。友人たちが原爆症の認定を受けるため書類を申請しても、被爆との因果関係が分からないと却下の連続でした。そうして30、40代で一生懸命子育てをしていた長崎の友人たちが何人も死んでいきました。
だから原発事故後にテレビを見ていて、政府が初めて「内部被ばく」の言葉を公式に使ったとき、本当になぶられていると感じました。彼らは知りながら隠していた。国に裏切られるとはこういうことか、と。
政府は「いま現在は平気」という言い方でした。そうじゃない。微量だろうが大量だろうが吸い込んだものは非常に長く肉体にとどまります。放射性物質の半減期を30年とすれば、100が50に減り、それからまた30年で25になり、そしてまた30年で半分に、その繰り返しです。そんな簡単なことは本を読めば書いてあります。
被爆者はずっと語り継いできたのに、こんなに過去を学習しない国があるのかと絶望しました。私は自分の書いたもので国や思想が変わるなどと傲慢(ごうまん)なことは考えていません。だけど息子がちゃんと育ってほしいという願いから、身近な命を見詰めることから普遍的なものになる、私小説から離れたものになるだろうと思って書いてきました。この絶望は本当に深いです。
〈原発も核兵器も命を脅かすという意味では同じ。林さんは著書でそう訴え続けてきた〉
経済の問題とか、原子力によっていろんな文化が発展するとか言うけど、そんなことができても命がなければ終わりでしょう。
原子力はエネルギーを電気に変える。原爆は人を殺すために熱線を生む。現象は違っても放射性物質を吸い込めば人は苦しむという根っこは同じ。だから枝葉を切って物事を基本で考えないと。今が好機だから真剣に考えないといけないんです。
いま政治家たちがテレビに出るとチャンネルを変えます。聞く耳を持たない政治家と国の在り方は解決しようがないのでしょうか。ストレスがたまる一方です。
核戦争はまず、よほどの愚か者でない限り、人類の頭上に落下する危機はないでしょう。ただ、それに代わる「原発戦争」がこれからを生きる人々の恐怖にならないか。私はそのことを恐れています。「平和エネルギー」の甘い言葉の下に。
【略歴】はやし・きょうこ 1930年長崎市生まれ。中国・上海で育つ。45年帰国し県立高等女学校に編入。学徒動員先の三菱兵器製作所大橋工場で被爆。75年、被爆体験を描いた「祭りの場」で芥川賞。83年「上海」で女流文学賞。84年「三界の家」で川端康成文学賞。90年「やすらかに今はねむり給え」で谷崎潤一郎賞。2000年「長い時間をかけた人間の経験」で野間文芸賞。06年、文学活動の全業績で朝日賞。神奈川県逗子市在住。