今 訴訟参加など検討へ
広島への原爆投下機B-29「エノラ・ゲイ」の機長だったポール・ティベッツが晩年を過ごした米オハイオ州コロンバス。地元では「戦争を終わらせた英雄」として知られる。西に約100キロ離れたデイトンの国立米空軍博物館には、長崎への原爆投下機「ボックス・カー」が展示されている。
コロンバス近郊の住宅街にある白いれんが積みの2階建ての家。緑の芝生が整えられた庭が広がる。「外国人手帳1号」の荘司富子(86)は、長女みのり(61)たちと暮らす。
「ばあちゃん、うどんできたよ」。みのりは、魚介類をたっぷり入れたうどんを作った。「あとで食べる」。リビングのソファで本を読む富子のペースに合わせた、ゆっくりとした時間が流れている。
オハイオに来て1年後の2002年、富子は心臓発作を起こし、ペースメーカーを埋め込んだ。その後も体のけいれん、高血圧、甲状腺異常などを抱える。
現在、米国で被爆者健康手帳を持つのは約970人。大半はロサンゼルスなどの西海岸在住で、富子が住む東部の小都市には情報があまり届かない。
日本への渡日支援や医療費助成、手当・手帳の海外申請が可能となった援護策の進展について、富子はほとんど知らなかった。
在台湾被爆者の国家賠償訴訟のニュースを、みのりが電子新聞で目にしたのをきっかけに、支援団体関係者と連絡が取れたのが今年3月。「在台湾被爆者国賠訴訟弁護団」主任弁護士の向山知(33)が7月訪米し、富子に面会した。
広大なアメリカ大陸で、癒えぬ心と体の傷を抱えて生きてきた富子。「思い出したくなかったから、だれにも話そうと思わなかったし、話せなかった」。富子の聞き取りを終えた向山は「法的措置を検討し、すみやかに手続きを進めたい」と話した。
向山ら弁護団は今後、富子への支援について協議に入る。日本出国後に打ち切られた健康管理手当の調査と、手当打ち切りによる慰謝料を求める国家賠償訴訟への参加。さらに、富子が09年に申請、却下された原爆症認定の再申請について検討する考えだ。
7月19日午後、コロンバスの空港。帰国便のゲートに向かう向山の姿が見えなくなるまで、富子は両手を振り続けた。=文中敬称略
=おわり=