大勢の負傷者が降りた諫早駅 馬郡秀勝さん(83)=諫早市栄田町=
梅雨明け前のJR諫早駅。ホームには、客がまばらに立っている。「そこです。あの日、1番ホームには被爆者があふれていた」
国鉄職員で16歳だった。諫早駅で客車の掃除や貨車の連結の業務を始めて、3年目の夏。8月9日午後4時すぎ、空は長崎方向から流れてきた黒い煙のようなものに覆われ、辺りは暗くなっていた。
救援列車が到着。客車から大勢の負傷者のうめき声と血の臭いがホームに流れ出した。最初に出てきたのは40歳代とみられる女性。頭にぼろ切れを巻き、腕のやけどが痛々しかった。「諫早に着いたけんね。手当てできるけんね」。そう励ますと、薄目を開け、力なく「あぁ」とだけ答えた。
客車から自力で出られない重傷者を支えて降ろすたびに、血が手や服にべっとりと付いた。
やがて駅は地獄絵図となった。さまよう人の腕はただれて皮膚は垂れ、死者は駅舎の外に積まれて臭いが強くなっていった。午後5時半ごろ、搬送先の病院から「これ以上の受け入れは困難」と連絡があった。
午後6時半ごろ、2番目の救援列車が着いた。「水、水を」。負傷者が求めても心を鬼にして、決してあげなかった。上司から「水をやると死んでしまうから一滴もやってはならん」と言われていたからだ。
もうすぐ67年が経過するが、時計が午後4時すぎを指すと、ふとあの日の場面が目に浮かぶ。「覚えていることが多すぎて」。タクシーが並ぶ諫早駅前で一瞬、顔をゆがませた。