東日本大震災から1年 低線量被ばく 長崎大と福島 1

福島第1原発に近い浪江町から避難してきた住民の仮設住宅=2月20日、福島市内

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東日本大震災から1年 低線量被ばく 長崎大と福島 1 健康不安 100ミリシーベルトがキーワード 見解分かれ変わらぬ混迷

2012/03/04 掲載

東日本大震災から1年 低線量被ばく 長崎大と福島 1

福島第1原発に近い浪江町から避難してきた住民の仮設住宅=2月20日、福島市内

健康不安 100ミリシーベルトがキーワード 見解分かれ変わらぬ混迷

2月下旬、民家の窓はカーテンが引かれ、街中に人影はない。雪に覆われた小学校。車が国道を走る音だけが響く。ほぼ全ての村民が避難した計画的避難区域、福島県飯舘村。役場前の線量計は「0・68マイクロシーベルト/時間」と表示していた。

「戻りてえな」-。村民が身を寄せる福島市内の仮設住宅。6畳2間に妻と暮らす菅野重光(79)は目を潤ませた。「放射能は見えねえから山から全部洗浄せねば。やっぱり子どもらの放射能の影響が心配だ」。別の仮設住宅では同県浪江町から避難した女性が「子どもの内部被ばくは高い値でなかったけど水素爆発でどれくらい浴びたかが分からない」とつぶやいた。

昨年3月11日、東日本大震災で発生した東京電力福島第1原発事故。当時、大半の国民に放射線の知識はなく、被ばくの恐怖が広がった。危険か安全か、避難か住み続けるか-。大混乱の福島県にいち早く入ったのが、被爆地長崎で原爆被爆者の治療や放射線の人体影響を調査・研究してきた長崎大の研究者たち。当時、同大大学院医歯薬学総合研究科長だった山下俊一(59)は、福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任。講演活動をこなした。キーワードは「100ミリシーベルト」だった。

山下は広島、長崎の研究から、一度に100ミリシーベルトを超える放射線を浴びれば発がんリスクが0・5%程度高まるが喫煙などのリスクより低く、100ミリシーベルト以下の低線量被ばくのリスクははるかに低いことを説明。福島の線量を踏まえ「大丈夫」と明るく語り掛けた。

「危機的状況で100ミリシーベルト以下のグレーゾーンを細かく説明するゆとりはなかった。不安に寄り添えば不安をあおることになっただろう」と山下は振り返る。

4月、学校の屋外活動を制限する値「年20ミリシーベルト以上」に、高すぎるとして反発した当時の内閣官房参与の辞任で、年20ミリシーベルトは危険という意識が一層拡大。前後して「原発被害を低くみせようとしている」などと山下へのバッシングがインターネットなどで顕著に。多様な「専門家」もマスコミなどに登場し見解が分かれ、混乱に拍車を掛けた。福島民報社報道部長の早川正也(51)は「県民は何を信じていいのか分からなくなった。その混迷は1年たってもあまり変わっていない状況」と語る。

拭い切れない健康不安-。福島県は、県民約200万人を対象に事故後の行動を問診票に記録してもらい個人被ばく線量を推計する調査を推進する。飯舘村など先行地区約1万5千人の推計値では、58%が国が通常時の年間被ばく線量上限とする1ミリシーベルト未満。一方、県全体の問診票の回収率は1月末で21%と伸び悩む。福島県に移住し県立医科大副学長となり、調査を仕切る山下は「21%とはいえ四十数万人分あり、今後も回収は続く。医者として県民の健康を見守り続ける」と語る。

大震災から1年。福島に研究者を積極的に派遣し、支援を続ける長崎大の被ばく研究にスポットを当て、低線量被ばくのメカニズム、福島との連携などを探った。=文中敬称略=