足元 教訓と反省 生かせるか 「想定外」問題へ模索始まる
福島第1原発事故から1カ月後の4月12日、長崎市職員の山崎智宏(35)の職場に1通のはがきが届いた。差出人は、原発に近い福島県浪江町から二本松市の体育館に避難していた70歳くらいの男性。「小生ナンジャカンジャトラぶったけど、常に貴男(あなた)が中和剤になってくれました」
山崎は3月末から約2週間、この体育館に泊まり込み、救援物資の受け取りや食事の配布係を務めた。見えない放射能への恐怖、集団生活のストレス-。飲酒量が増え、地元職員とのトラブルが絶えなかった男性の話し相手になり、深夜まで愚痴を聞く日もあった。
「未来永劫(えいごう)、自宅に戻れないのではないか」。漠然とした不安を抱く被災者も多い。そんなとき、山崎は原爆から復興を遂げた長崎の話をして聞かせた。
あれから4カ月。いまだ原発事故が収束しない被災地に対し、自分は何ができるのか。その答えはまだ見つからない。山崎はこの夏、休暇を利用して福島をもう一度訪れようと考えている。
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6月初旬、大学生グループが長崎大で開いた被災地支援フォーラム。若者たちが懸命に討論を続ける中、空席が目立つ会場から一人の女性が手を挙げた。「放射能で汚染された福島入りを全国のみんなが嫌がる中、誰よりも早く支援に駆けつけてくれた長崎の皆さんに心から感謝したい」。涙があふれた。
福島県須賀川市出身のヘルパー、姉川タイ子(65)=長崎市=は、原発事故発生当初から大学や自治体を挙げて福島を支援する被爆地長崎の市民にどうしてもお礼が言いたかった。古里には年老いた母や兄妹がいる。「生活もあり、そう簡単には帰省できない。金持ちなら多額の義援金を送れるのですが」
姉川はフォーラム後、被災地から来た避難者の生活を支援する長崎市のボランティア団体に登録。福島につながる活動なら何でも参加する、そう心に決めた。「福島を思う、その気持ちが被災地を励まし、勇気を与える。福島が元気になるにはまだまだ時間が必要。見捨てないで、温かいメッセージを送り続けてほしい」
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原発が引き起こした「想定外」の問題を抱えたまま長崎は9日、66回目の「原爆の日」を迎える。再び被ばく者を生み出してしまった-。不幸にも共通のテーマでつながった福島に対し、被爆地の教訓と反省は生かせるのか。さまざまな思いを胸に、市民の模索が始まっている。(文中敬称略)