逆風 「安全宣言」に批判殺到 未解明の分野現場は混乱
福島に被ばく医療の専門家たちを派遣していた長崎大は6月23日、現地の活動に関し、異例とも言える学長コメントを発表した。「一貫して正しい発言をしているのが山下教授」「福島県民に寄り添い、復興に向けた支援を続けていく」
当時、同大には少なくとも100件を超える苦情や批判が殺到していた。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして現地で講演活動にあたっていた同大学院医歯薬学総合研究科長(当時)、山下俊一(59)に対するものだった。
◇ ◇
バッシングは織り込み済みだった。目に見えない放射線はそういう分野-。ただ、被ばく医療活動で20年間通ったチェルノブイリとは何かが違う。「福島県外から現地に(原発反対の)思想やイデオロギーが入った。混乱に収拾がつかない中、住民は何を信じていいのか迷っている。国の後ろ盾もなく、今や専門家も入りたがらない」。福島県立医科大副学長就任を控えた7月6日、山下には疲労の色がにじんでいた。
最初の福島入りは、原発事故から1週間が過ぎた3月18日。翌日から2カ月間の講演回数は約30回に上った。国の指導力が問われ続ける中、1万人を超える住民らと対話してきた山下は、「100ミリシーベルト」を一度に浴びるとがんのリスクが少し高まること。それ以下は未解明な分野であることを解説したつもりだ。広島、長崎の蓄積とチェルノブイリなどから得た国際的なデータだった。
山下は「当初は不安と恐怖がまん延し、行政への不平不満のはけ口になった。それでも真剣に耳を傾けてくれた」と振り返る。ところが国が学校の校庭活動基準(年間被ばく線量20ミリシーベルト)などの放射線基準を公表したころから、「安全だと断言できるのか」「低線量被ばくの軽視」などと反発の声が上がり、ほかの学者たちが県内外でさまざまな主張を展開し始めた。現場は再び混乱。山下は「安全宣言」の象徴として矢面に立たされ、6月には市民団体が解任署名を始めた。
◇ ◇
福島県は今、全県民約200万人を対象にした大規模な健康管理調査に着手した。「長期低線量被ばくは世界でも例がない。広島、長崎そしてチェルノブイリのノウハウが欠かせない」(横山斉・同医科大付属病院副病院長)。被爆2世でもある山下はその中心となる副学長の就任要請を承諾し、福島に居を移した。
「福島の人々が忍耐強く頑張っているから、僕も頑張ろうと思う。被爆地が心を一つに応援することが福島を支える大きな力になる。長崎の経験をここで生かさなければどこで生かすのか」。激しい批判にさらされながらも、福島復興に向けた決意は固い。
(文中敬称略)
福島に被ばく医療の専門家たちを派遣していた長崎大は6月23日、現地の活動に関し、異例とも言える学長コメントを発表した。「一貫して正しい発言をしているのが山下教授」「福島県民に寄り添い、復興に向けた支援を続けていく」
当時、同大には少なくとも100件を超える苦情や批判が殺到していた。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして現地で講演活動にあたっていた同大学院医歯薬学総合研究科長(当時)、山下俊一(59)に対するものだった。
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バッシングは織り込み済みだった。目に見えない放射線はそういう分野-。ただ、被ばく医療活動で20年間通ったチェルノブイリとは何かが違う。「福島県外から現地に(原発反対の)思想やイデオロギーが入った。混乱に収拾がつかない中、住民は何を信じていいのか迷っている。国の後ろ盾もなく、今や専門家も入りたがらない」。福島県立医科大副学長就任を控えた7月6日、山下には疲労の色がにじんでいた。
最初の福島入りは、原発事故から1週間が過ぎた3月18日。翌日から2カ月間の講演回数は約30回に上った。国の指導力が問われ続ける中、1万人を超える住民らと対話してきた山下は、「100ミリシーベルト」を一度に浴びるとがんのリスクが少し高まること。それ以下は未解明な分野であることを解説したつもりだ。広島、長崎の蓄積とチェルノブイリなどから得た国際的なデータだった。
山下は「当初は不安と恐怖がまん延し、行政への不平不満のはけ口になった。それでも真剣に耳を傾けてくれた」と振り返る。ところが国が学校の校庭活動基準(年間被ばく線量20ミリシーベルト)などの放射線基準を公表したころから、「安全だと断言できるのか」「低線量被ばくの軽視」などと反発の声が上がり、ほかの学者たちが県内外でさまざまな主張を展開し始めた。現場は再び混乱。山下は「安全宣言」の象徴として矢面に立たされ、6月には市民団体が解任署名を始めた。
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福島県は今、全県民約200万人を対象にした大規模な健康管理調査に着手した。「長期低線量被ばくは世界でも例がない。広島、長崎そしてチェルノブイリのノウハウが欠かせない」(横山斉・同医科大付属病院副病院長)。被爆2世でもある山下はその中心となる副学長の就任要請を承諾し、福島に居を移した。
「福島の人々が忍耐強く頑張っているから、僕も頑張ろうと思う。被爆地が心を一つに応援することが福島を支える大きな力になる。長崎の経験をここで生かさなければどこで生かすのか」。激しい批判にさらされながらも、福島復興に向けた決意は固い。
(文中敬称略)
福島に被ばく医療の専門家たちを派遣していた長崎大は6月23日、現地の活動に関し、異例とも言える学長コメントを発表した。「一貫して正しい発言をしているのが山下教授」「福島県民に寄り添い、復興に向けた支援を続けていく」
当時、同大には少なくとも100件を超える苦情や批判が殺到していた。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして現地で講演活動にあたっていた同大学院医歯薬学総合研究科長(当時)、山下俊一(59)に対するものだった。
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バッシングは織り込み済みだった。目に見えない放射線はそういう分野-。ただ、被ばく医療活動で20年間通ったチェルノブイリとは何かが違う。「福島県外から現地に(原発反対の)思想やイデオロギーが入った。混乱に収拾がつかない中、住民は何を信じていいのか迷っている。国の後ろ盾もなく、今や専門家も入りたがらない」。福島県立医科大副学長就任を控えた7月6日、山下には疲労の色がにじんでいた。
最初の福島入りは、原発事故から1週間が過ぎた3月18日。翌日から2カ月間の講演回数は約30回に上った。国の指導力が問われ続ける中、1万人を超える住民らと対話してきた山下は、「100ミリシーベルト」を一度に浴びるとがんのリスクが少し高まること。それ以下は未解明な分野であることを解説したつもりだ。広島、長崎の蓄積とチェルノブイリなどから得た国際的なデータだった。
山下は「当初は不安と恐怖がまん延し、行政への不平不満のはけ口になった。それでも真剣に耳を傾けてくれた」と振り返る。ところが国が学校の校庭活動基準(年間被ばく線量20ミリシーベルト)などの放射線基準を公表したころから、「安全だと断言できるのか」「低線量被ばくの軽視」などと反発の声が上がり、ほかの学者たちが県内外でさまざまな主張を展開し始めた。現場は再び混乱。山下は「安全宣言」の象徴として矢面に立たされ、6月には市民団体が解任署名を始めた。
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福島県は今、全県民約200万人を対象にした大規模な健康管理調査に着手した。「長期低線量被ばくは世界でも例がない。広島、長崎そしてチェルノブイリのノウハウが欠かせない」(横山斉・同医科大付属病院副病院長)。被爆2世でもある山下はその中心となる副学長の就任要請を承諾し、福島に居を移した。
「福島の人々が忍耐強く頑張っているから、僕も頑張ろうと思う。被爆地が心を一つに応援することが福島を支える大きな力になる。長崎の経験をここで生かさなければどこで生かすのか」。激しい批判にさらされながらも、福島復興に向けた決意は固い。
(文中敬称略)