似た道 放射線の脅威伝えたい 「安全神話」の反省踏まえ
「放射線は自然界にも存在するから大丈夫という主張もあります。しかし浴びないに越したことはありません」。7月4日、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)が福島第1原発事故を機に長崎市で初めて開いた原発学習会。講師の話に耳を傾けながら、事務局長の山田拓民(80)は記憶をたぐり寄せていた。「今、福島でよく似たことが起きている」
山田は旧ソ連チェルノブイリ原発事故から2年後の1988年、核兵器廃絶運動の一環でキエフ(ウクライナ)を訪ねた。現地で小児甲状腺がんが問題化している時だった。子どもへの健康被害を心配する母親たちに対し、当時のソ連政府は事故の影響を否定。「風土病」として片付けようとする姿勢に憤りを感じたことを覚えている。
「ただちに健康に影響はない」-。原発事故発生当初から繰り返す日本政府の態度と、幼児を連れて懸命に避難する福島の親子の姿が今、チェルノブイリと重なる。そして、さらにさかのぼって、被爆者が歩んだ苦難の道のりを思い起こす。
米政府は終戦直後、公式声明で、生存する被爆者の存在を否定。生き残った被爆者は貧困や差別、偏見に苦しめられた。原爆症認定訴訟に代表されるように、数々の疾病を「放射線の影響ではない」と切り捨ててきた日本の被爆者援護行政-。「福島で同じ過ちを繰り返してはいけない」。山田は強く願う。
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長崎被災協は本年度の運動方針の一つに56年の結成以来、初めて「脱原発」を据え、福島の原発事故被災者への完全な補償実現を迫る内容を盛り込んだ。背景には「ノーモア・ヒバクシャ」を掲げながら、原発の「安全神話」に惑わされてきたことへの反省がある。「原発はどうもよく分からない」。今でもそんな声は多く、原発学習会を皮切りに理解を深めていく計画を立てた。
福島では放射性物質が原発を中心にいびつな形で広がり、局地的に放射線量が高い「ホットスポット」の存在も確認されている。見えない恐怖におびえる被災者に、山田にはどうしても伝えたいことがある。
「何が起きるか分からないのが放射能。われわれは被災地に対し、安全ですとは決して言えないし、健康への不安は死ぬまで続くだろう。だから事故発生当初のあらゆることを詳細に記録にとどめておいてほしい」。それが将来の補償に向けた大きな切り札になる-。身をもって体験した被爆者からの伝言だ。(文中敬称略)