八木道子さん(72)=長崎市十人町= 「ピカドンと子どもたち」 平和のバトンつないで
八木さんが、被爆体験講話でよく子どもたちに読み聞かせているのは、1981年刊の長崎の原爆シリーズ「ピカドンと子どもたち」(あらき書店刊)。▽原子雲を見た子供たち▽見えないほうがよかった▽世界でいちばん悲しいクラス▽なぐさめの天使▽土のなかの顔▽あの子らの碑-などで構成。
「世界でいちばん悲しいクラス」は、原爆で約1400人の生徒や先生を亡くした長崎市の城山小が舞台。原爆投下の後、被爆により多様な症状が出ている子どもを見守るためにつくられた「原爆学級」と呼ばれたクラスを描写。被爆した子どもたちを次々と死のふちへ追いやる原爆の恐ろしさと教師の苦悩が伝わってくる。
八木さんは、爆心地から約3・3キロの鳴滝町の実家で被爆。原爆投下直前は、空襲警戒警報が解除されており、飛行機の音がしたので自宅2階で兄と空に向かって手を振っていた。強い光と爆音に襲われた。当時6歳。「お日さまが爆発した」と思った。
「8月9日午前11時2分まで、私と同じように城山小の子たちも生きていた。でも多くは11時3分を迎えることができなかった。そして生き延びた子どもの命まで奪われた」。無差別に殺りくした原爆。八木さんは願う。「子どもたちにお願いです。最後の被爆者がいなくなる日は必ず来ます。亡くなっていった子どもたちの分も生きて、平和のバトンを受け継いでほしい」