山川剛さん(74)=長崎市滑石3丁目= 「こどものためのナガサキの原爆読本」生きるって素晴らしい
1945年8月9日に長崎に原爆が投下されて66年。高齢化が進む被爆者は、いつかいなくなるだろう。未来をつくる子どもたちが被爆の記憶を引き継ぐ上で、本が担う役割は今後、一層増す。そこで過去に教師として子どもたちと歩んだ被爆者に、お薦めの本と平和への思いを尋ねた。
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山川さんが小・中学生に薦めるのは72年刊のシリーズ本「こどものためのナガサキの原爆読本」(県教職員組合刊)。▽雲になってきえた▽夾竹桃(きょうちくとう)の花さくたびに▽原子野のこえ▽三たび許すまじ-で構成。初級、中級、上級、中学生用に分かれている。
発行当時、寄贈された長崎市内のある小学校の図書室から校長が撤去し、「読本隠し」として問題に。市教委と県教職員組合が対立するきっかけとなった。
「夾竹桃の-」は、実在した被爆教師「竹子先生」がモデル。竹子先生は被爆後、生徒に原爆の非情さを伝えながら、自身が被爆の影響で重い病気にかかってしまう。死ぬ間際、生徒に「病気が治るなら毒がある夾竹桃の葉でも食べてやりたい」と訴える。
原爆が投下されたあの日、長崎の子どもたちはなぜ殺されてしまうのか分からずに人生を終えた。山川さんは「その分まで精いっぱい生きて、という願いと、”生きる”ことへの執着心を竹子先生は生徒に伝えたかったのでは」と語る。
山川さんは8歳のころ、浪の平町の海岸で遊んでいて被爆した。爆心地から約4・3キロ。小学校教諭になって、被爆体験の継承のために「県被爆教師の会」を立ち上げ、講話などで子どもたちに被爆の実相を語ってきた。平和と、生きる素晴らしさを伝えたいという思いは竹子先生と同じだ。
「長崎で生まれ育った子どもたちは、この世に核が存在し、あの日が繰り返される可能性が残っている以上、学び続けてほしい」。山川さんは願いを込める。