長崎大大学院医歯薬学総合研究科教授 高村昇さん(43) 現地の若い医師を育成 福島で生きた出荷制限
1986年4月26日に旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号炉が爆発して25年、日本では福島第1原発事故による混乱が始まった。模索を続ける私たちはチェルノブイリの経験を生かすことができるのか。同じ核被害の原爆忌を前に、関係する医師3人に語ってもらった。
事故から12年後の98年、初めてチェルノブイリの支援に携わった。訪れたのはウクライナの隣国、ベラルーシのゴメリ医科大。事故後、周辺住民の健康管理を目的に創設された大学だったが、社会情勢はまだ混乱していた。
医療機材も薬品もない。学生が使う60年代の教科書に、がくぜんとした。「教育支援が必要だ」。ベラルーシを飛び回り、長崎大から遠隔講義ができるシステムなどを構築した。
長崎大は、90年からチェルノブイリの支援を開始。医療のほか、教育支援の一環で現地の留学生や研究員を同大に受け入れている。積極的に招くのは、事故の影響による甲状腺がんを乗り越えて、医師や研究者を目指す若者たち。痛みを経験しているからこそ、志が高く有望な人材も多い。
「ゆくゆくは自国で患者の治療や放射線研究ができるように」-。その基礎をつくろうとしてきた。
チェルノブイリ周辺で、放射性物質の汚染地域住民約500万人のうち、甲状腺がんになったのは約6千人。放出された放射性物質の、主に「ヨウ素131」が甲状腺に集積し、内部被ばくを引き起こした。中でも、事故当時の年齢が15歳未満の子どもに多発したという国際機関の報告がある。
被害が拡大したのは、旧ソ連政府が食物の流通、摂取制限をせず、放射性物質に汚染された食物が市場に出回ったため。福島の原発事故で、食物に放射性物質の暫定基準値を設けて出荷制限が行われたのは、この苦い経験による。
放射性ヨウ素の人体影響は、長崎大が90年から継続してチェルノブイリ周辺住民に実施する体内の放射線量測定でも明らかだ。データ数は毎年2万人に及ぶ。
一方で、世界保健機関(WHO)などの国際的な調査によると、同じ放射性物質でもセシウムによる疾患は現時点で確認できないという。日本中の関心事だけに、疫学調査でこの有無を証明しなければならない。
これら全ての放射線医療研究は、「なぜ放射線でがんが発生するのか」という一つの大きな課題につながっている。
自分たちが故郷を守るという意志を持つチェルノブイリの若い医師が今、育ってきた。長崎で学んだ青年らが医療の現場で活躍する姿を目にする機会も増えている。原発事故の苦しみを知る彼らもまた、放射線医療研究の大きな課題に挑んでいくだろう。それが被ばく医療を前進させることになるはずだ。