被爆者 田崎昇さん(67) 高校生がさわやか旋風 被害への加担を痛感
長崎市の被爆者3人と被爆2世の計4人が1月23日から4月18日までの約3カ月間、非政府組織(NGO)「ピースボート」が主催した「ヒバクシャ地球一周 証言の航海(通称・おりづるプロジェクト)」に参加。日本政府が委嘱した「非核特使」として世界各国を船で回り、被爆の実相を訴えた。現地などでの活動の様子を寄稿してもらった。
寄港先での証言活動に劣らず重要なのが、船内での交流活動だった。外国のヒバクシャとの交流と、若者の継承活動についてリポートする。
横浜出港からタヒチに着くまでの2週間、船内で「グローバルヒバクシャフォーラム」を開いた。フランスがムルロア環礁などで行った核実験の影響で、タヒチの先住民らががんになっていても仏政府が認めようとしないこと、オーストラリアでは、ウラン採掘のために先住民アボリジニの居住環境が汚染されていることなどを知った。
まさに先住民への差別。被爆故の差別を経験した広島、長崎の被爆者として連帯感を強くした。オーストラリアが産出するウランの3分の1は日本に輸出されており、われわれが被害に加担していることも痛感した。
同じ船の高校生平和大使5人は、タヒチ、オーストラリアの若者と意見交換し、核問題のネットワークを広げることに合意。船内やタヒチ下船後に492人の署名を集めて帰国した。高校生の平和への熱意と明るい笑顔は、さわやかな旋風を起こした。
ピースボートの乗客は750人。そのほとんどは定年退職後のクルーズを楽しもうというシニア世代で、若者は150人程度だった。船内では語学、ダンス、絵画、音楽などの講座やサークルがあり、どれも盛況だった。
その中でおりづるプロジェクトのサポーターともいうべき「おりづるパートナー」に20人ほどの乗客(ほとんどが若者)がボランティア志願。寄港地で贈呈する千羽鶴作りのほか、船内のおりづるプログラム(原爆映画上映、核兵器や被爆、2世問題などの講話)を企画、運営した。小グループで被爆体験を聞いて紙芝居を作り、発表会もした。おりづるパートナーから生まれた数人のリーダーは、パートナー間の情報交換を図り、広島、長崎への平和式典参加など、被爆者の思いを伝えるために今後も活動を続けることを決めた。
被爆者との出会いを契機とした若者らの今後の自主的な継承活動に期待したい。