平和の概念
今年で23回目のノーベル平和賞フォーラム。世界平和への道筋を探るのが目的だが、講演や分科会で核兵器廃絶や被爆者問題を取り上げたのは長崎外国語大教授のマーク・ティーダマン(52)だけだった。核兵器廃絶は主要テーマではなかったからだ。
フォーラムに参加した同大の山脇有香(22)は「長崎にいれば、平和イコール原爆という感じだが、フォーラムに参加してみて、世界のとらえ方は違うと思い知った。中東やアフリカの情勢、各国で起きている内戦。一口に平和と言ってもいろいろある」。
幅が広い平和問題の中で原爆をどう注目してもらうか。学生らは考えた。
福岡出身で原爆について知らないことばかりだった馬場美幸(21)は「外国の人に原爆を知ってもらうためには、もっと多くの日本人に考えてもらわなければいけない」と実感した。長崎原爆資料館で日本人の修学旅行生が座り込んでいた光景を思い出した。出てきた答えは足元を見詰めることだった。
米国で原爆を伝える難しさを感じた一方で、思いを受け止めてくれる仲間がいることも知った。長崎市の姉妹都市セントポール市で3月6日あった「セントポール・長崎姉妹都市委員会」のメンバーとの交流会。原爆投下日に合わせて平和集会を開いている「ミネアポリス・セントポール・広島・長崎記念委員会」などの関係者も集まり、同大の学生4人が祖父母の被爆体験についてスピーチするのを静かに聞き入った。
吉谷彩香(22)は被爆後に甲状腺の病気に苦しんだ祖母の体験を話し「歴史は変えられないが、未来は変えられる」と呼び掛けた。祖母が住吉のトンネル工場で被爆した石垣摩美(22)も「核兵器がある限り、真の世界平和は実現しない」と訴えた。
同姉妹都市委員会会長のエリザベス・シマーは、おじが日本との戦争で亡くなったことを明かしつつ「平和という同じ目的のために頑張ろう」と過去を乗り越えての協力を呼び掛けた。同記念委員会代表のジョアン・ブラッチリーも「過去を思い出し、行動を今起こすことで希望ある将来を考えるのが共通の使命」と語り掛けた。
保有する大量の核兵器を背景に世界をリードする米国にも、被爆地の思いを分かち合ってくれる仲間は確かにいた。(文中敬称略)