原爆投下への認識
ノーベル平和賞フォーラムの会場で長崎外国語大の学生6人は原爆に関するポスターを展示した。ブースには次から次に米国の学生や市民が訪れ、平和市長会議が呼び掛ける核兵器廃絶の署名には2日間で81人が応じるなど反応は必ずしも悪くはなかった。
しかし、長崎外国語大の学生らの顔には物足りなさが浮かんでいた。来た人とゆっくり話す時間がなく、被爆の実相を十分伝えられたか確信が持てなかったからだ。原爆投下や核兵器の存在を容認する意見を少なからず耳にもした。
「ひどい被害が出たのは分かるが、戦争を終わらせるための一つの手段だった」。永江葵(21)は展示会場を訪れた中年男性がそう話すのを聞いた。
永江の祖母は原爆投下後に入市した。被爆者に認定されなかったが、がんで亡くなったのは被爆が影響したのではないか。その思いは消えず、祖母の死が無念で、歯がゆかった。
山脇有香(22)の祖父も長崎で被爆し、膝の裏から骨が外に出る症状に長く苦しめられた。米国に留学していたとき、祖父の体験を話すと、男子学生から「君のおじいさんはpimp(かっこいい)」とスラング(卑俗な言葉)でからかわれたことがあった。それだけに、今回の訪米で原爆のことをもっと知ってほしいと思っていた。
フォーラム会場には「原爆を知らない」と話す13歳の少年もいた。学校で教わっていないのか、教わったけど覚えていないのか分からないが驚いた。山脇は「興味のない人に、いかに関心を持ってもらうかが大事。他人に伝えるには自分ももっと勉強しなければ」と痛感した。
西川利奈(22)は参加者に積極的に声を掛けた。「オバマ大統領が核兵器のない世界を訴えたのに、なぜなくならないんだろう」。ずっと考えていた疑問の答えを見つけたかったからだ。
「米国は世界のリーダーでありたいんだ。相手が銃を持っていたら、自分も持たないといけない。世界中のみんなが核兵器を持っているから捨てられないんだ」。ある米国の男子学生はこう話したという。平和をテーマにしたフォーラムに参加した人でさえ容認する核抑止論。「平和って何」。長崎外国語大の学生らの頭を駆け巡った。(文中敬称略)