思い背負う米国人教授
長崎外国語大の教授や学生らが1~15日の日程で米国ミネソタ州やアイオワ州などを訪問。世界平和の道筋を探るノーベル平和賞フォーラムに参加したほか、学生らは祖父母の被爆体験を市民にスピーチして核兵器廃絶を訴えた。核大国で被爆地の思いは伝わったのか。同行取材の模様をリポートする。
3月上旬でも氷点下の気温が続き、至る所に雪が残る人口約8千人の小都市アイオワ州デコラ。長崎外国語大の姉妹校ルーサー大で4、5両日開かれたノーベル平和賞フォーラムには学生や市民約1400人が参加した。
米国人で長崎外国語大教授のマーク・ティーダマン(52)は5日の分科会で「被爆者のたどった旅」と題して講演した。核兵器の壮絶な威力を写真や図で示しながら、被爆者らの証言を基に原爆投下の当日、2日目、3日目の生々しい被害の様子を説明。戦後日本社会の中で長く置き去りにされた被爆者が援護を勝ち取るまでの苦闘にも光を当てた。その意図をティーダマンは「原爆投下の当日や翌日の様子は知られていても、5年後や10年後のことは知られていない」と明かした。
被爆者の思いを背負った講演だった。訪米を前にティーダマンは語り部をしている谷口稜曄(すみてる)、下平作江、山川剛(たけし)、今田斐男(あやお)の4人から詳しく話を聞いた。
2月21日。長崎市岡町の長崎原爆被災者協議会で谷口と向き合ったティーダマン。背中を焼かれた谷口の写真パネルを見ながら当時の記憶をつぶさにノートに記入。「核兵器で人は守れない。心を一つにして核兵器をなくさないといけない」というメッセージを胸に刻んだ。
分科会の質疑応答で白髪の男性が手を挙げた。米国戦略爆撃調査団の一員として戦後、日本を訪れたというリー・スモーリー(84)=ウィスコンシン州=。「自分は広島と長崎には行かなかったが、焼夷(しょうい)弾で焼けた東京の被害も大変なものだった」。東京大空襲の爪痕を見たと話すスモーリーに、ティーダマンは原爆の放射線で今も苦しむ被爆者の現状を説明し、核兵器の特異性を強調した。
「米国人は原爆が通常の爆弾と何か違うと認識している。でも詳しくは分かっていない。どう違うかを伝え続けなければならない」。長崎に30年近く住み、被爆地の思いを知るティーダマンの言葉には、原爆への理解が不十分な母国へのもどかしさがにじんでいた。(文中敬称略)