榎 省司さん 「平和」歌で認識深める
被爆65年となる今年の長崎原爆の日(8月9日)の平和祈念式典に、長崎の被爆者だけでつくる合唱団、被爆者歌う会「ひまわり」(41人)が初めて出演する。式典冒頭、恵の丘長崎原爆ホームの被爆者らも加わった総勢75人で楽曲「もう二度と」を披露する。平和希求の歌声に被爆者たちはどんな思いを込めようとしているのか。
2004年、長崎市在住のシャンソン歌手、寺井一通(61)が主宰し発足した「ひまわり」。榎省司(68)=同市三ツ山町=は3代目会長だ。敬虔(けいけん)なカトリック信者の家に生まれ、3歳の時、爆心地から約4キロの同町の自宅庭で被爆。爆風で空が暗くなり、自宅のわらぶき屋根は吹き飛び、土壁が壊れ落ちた。幼い記憶は、そこまでだ。
差別や偏見を避けるため、家族は被爆者であることを隠した。榎は市職員として水道部局を中心に歩んだが、被爆者としての意識はほとんどなかった。妻、昭子(68)も同郷の信者で被爆者。昭子は母の実家が爆心地に近い城山町で、原爆投下後、親に連れられ行き来したらしい。体調は芳しくない。00年、脳梗塞(こうそく)に襲われた昭子は、合唱のリハビリ効果を期待して05年1月に「ひまわり」に入会。歌に縁がなかった榎も同年9月に入った。
「自分は平和や核兵器の問題になぜか無知で無頓着だった」と榎。平和の歌を歌い、寺井に核兵器をめぐる動きを教えてもらい、仲間と語り合う中で認識が深まった。原爆、戦争に関する新聞記事も見出しだけでなく、読み込むようになった。オバマ米大統領の「核兵器なき世界」の提唱に共感し、応援したい気持ちだ。「地球を壊滅させるものがあってはならない」。今は強く思える。
「メンバーの多くは平和運動などから縁遠い、隠れていた普通の家庭人」。思想信条、宗教もばらばら。「被爆者である」という一点で集まり、歌う。そこに新しい平和運動の芽があると榎は感じている。
祈念式典では2年前から開式の前に歌ってきた。今年は開式後の正式プログラムに格上げされての合唱。「年老いた核の被害者が平和を伝えるために一生懸命歌っている姿は、世界の人々の印象に刻まれるはず」
25日、設営作業が始まった平和公園の式典会場を訪れた榎は歌ってみた。
「♪もう二度とつくらないで 私たち 被爆者を-」。伸びやかな声が青空に広がった。(敬称略)