被爆者の思い 非人道的武器の抹殺を
最初の核兵器を使用し、今も世界の覇権を握り続けているように見える米国。訪米した非政府組織(NGO)核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委の朝長万左男長崎原爆病院長(66)によると、原爆が何十万人を殺傷したかなどという威力の情報は米国民に一定伝わっているが、個々の市民がどのような殺され方、傷つき方をしたかは歳月を経てもあまり知られていない。
国連本部ロビーで3日夜にあったNGOや被爆者らの交流会「ヒバクシャ・ストーリー」。主催した米国軍縮教育家に促され、長崎の被爆者、下平作江さん(75)は被爆の惨状や妹の自死などを詳細に語った。ほかの被爆者の多くが泣いた。会場後方の米国人らは話に聞き入り、顔を見合わせて驚いているようにも見えた。
国連本部の原爆展で長崎の被爆者、池田早苗さん(77)は話した。「6歳の妹は真っ黒焦げで死んでいました。4歳の弟は私一人で火葬しました。8歳の弟、10歳の妹も死んでいきました。14歳の姉も天皇陛下万歳と言って死にました」。旅行の途中、立ち寄ったという英国人のジャクリーン・ピータースさん(51)は原爆投下国への怒りについて幾度も質問。「もし自分だったら絶対許せない」。娘のルースさん(13)もショックを受けたようだった。
池田さんの心の奥底には炎のような怒りがある。だが今、その対象は核兵器自体。「核兵器は全員を殺す。そして(放射能で)殺していく。私たちの体験を他の人に味わわせたくない。早く核兵器を抹殺したい」。恨みを超えた池田さんの使命感にピータースさんは尊敬の念を込めて「ノーブル」という言葉を贈った。
「原爆は人間をどう殺し、どう苦しめたか」。非人道的な核兵器の正体を伝えるため被爆者たちは語り続ける。
同じ会場で長崎の被爆者、小峰秀孝さん(69)はパネルを見ていた女性に声を掛けた。被爆証言を始めようとすると女性は遮った。「話をしないで。父がニューギニアで日本人の捕虜になり死んだ。その話、聞きたくない」
小峰さんはそっと場を離れた。「怒りを抱えたまま吹っ切れないんだろう。パネルを見に来てくれただけでもうれしいよ」。小峰さんは同じ戦争被害者として心を寄せた。