被爆地から 米国での証言は「遺言」
3月末、長崎原爆被災者協議会の会合。核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けての報告などがあった後、1人が手を挙げた。「会の支部も評議員も減っている。非核三原則の法制化や核廃絶で頑張らんといかんが、肝心要の足腰が弱くなってしまった。(被爆から)65年、私たち自身が重要な局面に来ている」
高齢の被爆者たちが体調を崩し、次々に亡くなっている。時間は限られている。だからこそ、被爆者は決意を込めて米国に向かう。県被爆者手帳友の会の井黒キヨミさん(84)もその一人だ。
看護師見習いをしていた桜馬場町の医院で、おかずのカボチャを煮ていて被爆した。目もくらむ光、ドーンという音。熱風が吹き抜けた。次々に運ばれてくる死傷者。衣服と皮膚が焼けて赤くむけた肉、胸や背中がえぐられた人-。その情景と遺体を焼くにおいは忘れることができない。
井黒さんは涙を浮かべ、NPTへの思いを話す。「私たちはあの原爆を伝えんといかん。オバマさんは核兵器(戦略核弾頭)を1550発まで減らすとか言うが、じれったい。未来が懸かっている。(核廃絶を)もっと早く」
被爆2世でカトリック信者の杉本雅親さん(57)は、いつか被爆者から投げ掛けられた言葉が耳にこびり付いているという。「被爆は体験した者でないと分からん」。複雑な感情がわいた。被爆者がいなくなったとき、被爆地の「記憶」を誰が伝え続けるのか。「いずれにしても、バトンタッチの時はもう来ている」。被爆者に直接つながる被爆2世として、何をどう受け継ぐのか。世界にどう働き掛けるのか。訪れる米国でも模索は続くだろう。
願いは核廃絶の一点。オバマ米大統領の登場でかすかな希望を感じながらも、依然として核抑止論がまかり通る世界情勢にいら立ちは募る。「被爆マリアの深い空洞の目に、核のない世界は見えているだろうか」。杉本さんは自らに問い掛ける。
NPT再検討会議の非政府組織(NGO)セッションで訴える谷口稜曄さん(81)は28日、こう話した。「米国での証言は、被爆者の『遺言』として語る。被爆の実相を知った人の一部でも別の人へと伝え、核兵器廃絶へ人類が動きだすことを信じたい」
被爆者、被爆2世、3世、市民-。被爆65年の歳月を超え、核をめぐってうごめく世界に対峙(たいじ)するため、それぞれが被爆地をたつ。