伝言 被爆地から 6

夫の故秋月辰一郎医師の思い出や核廃絶の願いを語るすが子さん=長崎市辻町の自宅

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伝言 被爆地から 6 元看護師 秋月すが子さん(91) まだまだ大変では

2010/04/25 掲載

伝言 被爆地から 6

夫の故秋月辰一郎医師の思い出や核廃絶の願いを語るすが子さん=長崎市辻町の自宅

元看護師 秋月すが子さん(91) まだまだ大変では

浦上第一病院(現聖フランシスコ病院)で、患者の気胸治療をしていた(後に夫となる)秋月辰一郎医師のそばにいた。飛行機の音がして「音が違う。窓からのぞいてみろ」と秋月に指示され、行こうとした途端、強い光が来た。目と耳をふさいで床に伏せた。爆心地から1・4キロ。

重症患者を背負って外に出たら、門の所で男の子の頭が割れ、おなかも割れて死んでいた。浦上天主堂が燃えていた。

秋月は、とにかく核兵器廃絶のことばかり考えていた。1992年にぜんそくの発作で倒れ、13年間寝たきりとなり2005年10月、息を引き取った。

今、一生懸命運動しているのは、割と若くして被爆した人が中心。それだけ時が過ぎた。

世界では核兵器をみんなが怖いと思い、なくそうとする動きも出ているようだけれど、まだまだ大変なような気がして。「他の国が持っていると何をされるか分からない」と互いに思っている間は難しいかも。今の核兵器は一度使ってしまったら、みんなが駄目になってしまうほどの威力なのに。まだ本当の恐ろしさが分かっていないんだと思う。