県高体連会長 宮原照彦氏(58) 日本全体で招致進めて 最初から夢あきらめるな
-実際に五輪の舞台に立った経験者として。五輪とは。
自分への挑戦、夢への挑戦だった。青春そのものだったといえるのかもしれない。当時は鹿町工高の教員だったため、それ限りで競技の第一線から退き、後輩の育成に専念した。競技者としての集大成だった。
-五輪招致のニュースを聞いた時の感想を。
出張先で知ったが、とにかくびっくりした。数日前に東京がリオデジャネイロに敗れたばかりで、何の前触れもなかったから、余計に驚いた。
-招致活動をどう受け止めているか。
スポーツに励む子どもたちの最高の目標は五輪。指導者としても、そんな話が出てきたことは、とても夢があって、素晴らしいと思う。ただ、夢で終わらせるにはもったいない。実現に向けてどれだけの努力ができるかが課題だろう。
-五輪が本県スポーツ界に与える影響は。
子どもたちがスポーツに取り組む「きっかけづくり」になるだろう。施設面などに関して、私たちがとやかく言うことはないが、五輪が身近なところで話題になるのは、とてもいいことだと思っている。
-開催にあたっての不安があれば。
昔、経験してみてのことだが、200カ国近くが参加する世界最大の大会。施設、設備の問題など、開催にあたってのハードルは高い。だが、最初から夢をあきらめることはできない。可能な限りチャレンジすることが大事だと思う。
-今回の五輪招致で、スポーツと核廃絶が結びつけられている。
県高体連会長、学校長、公務員として、それについてはコメントがしにくい。ただ、競技者、スポーツ指導者としては、五輪は平和の象徴として行われるものであって、純粋なものであってほしいという気持ちが本音。スポーツは言葉が違っても通じ合えるコミュニケーションの手段だから。
-今後、どのような活動を続けていくべきか。
五輪開催で県高体連にマイナス材料はない。本県スポーツ界に及ぼす影響の大きさは計り知れず、長期的なスポーツ振興につながっていく「夢」だと思う。ただ、自分が実際に選手として見てきただけに、夢で終わる可能性も考えられる。広島・長崎市だけでなく、県、九州、日本全体で招致を進めてほしい。
【略歴】みやはら・てるひこ 南高南有馬町(現南島原市)出身。島原工高1年でレスリングを始め、3年で世界ジュニア選手権3位。日体大卒業後、1976年モントリオール五輪グレコローマンスタイル63キロ級で4位入賞した。今年から県高体連会長、長崎南高校長。