長崎西高のクスの木 =爆心地から0.8キロ地点で被爆 同級生のようなもの
長崎西高(長崎市竹の久保町)の正門前の坂、通称「遅刻坂」横の土手に、被爆したクスの木がある。原爆により、多くの木はなぎ倒された。クスの木も熱線に焼かれたが再生し、現在では巨木に成長している。
原爆投下時、同校の場所には県立瓊浦中があった。同中同窓会副会長の丸田和男さん(77)=同市城山台1丁目=は当時1年生で、毎日このクスの木を見ながら登校していたという。「生徒が塹壕(ざんごう)掘りや疎開家屋の片付けをするなど、学校は正常な状態でなかった」と振り返る。
原爆が投下された8月9日、同中は期末試験期間中。試験を終えて帰る生徒らを、クスの木は見送っていた。そのさなか午前11時2分、原爆がさく裂し、丸田さんの同級生約100人の命が奪われた。丸田さんは自宅で被爆したが、辛うじて生き延びた。
丸田さんは卒業後、公務員として働いたが、退職して1997年に平和推進協会の活動に参加するまで、クスの木を気にとめることはなかったという。「語り部などとして活動するにつれ、クスが大きくなったことをしみじみ感じるようになった」と話す。
毎年8月9日には、瓊浦中の同窓会が、西高で慰霊祭を開いている。「原爆をともに体験し、お互い生き延びたクスは、同級生のようなもの」と丸田さん。
同中の校訓「不撓(ふとう)不屈」の精神を体現するように生き続けるクスの木に、丸田さんは次のような手記を寄せている。
「やがてはお前たちだけになるだろう あの日のことを語ることができるのは。いつまでもたくましく生き続けてくれ」