若草町のカキの木 =爆心地から0.9キロ地点で被爆 切らせなかった義父
長崎市若草町の諫山信子さん(69)方には、被爆した5本のカキの木がある。
信子さんの義父格司さん(故人)は、原爆投下後に現在の土地を購入。その時すでに、カキの木は現在とほぼ同じ姿で立っていた。以来、5本のカキの木は大事にされてきたという。
「駐車場を造るために切ろうと義父に提案したら、烈火のごとく怒られました」と信子さん。格司さんは「この木は切るな」と言い続けた。
信子さんによると、被爆当時この近辺は池で、水を求めてやってきた多くの被爆者が亡くなった。「その様子をこの木は見ていたのでしょう」と信子さん。「義父にとってこの5本の木は、原爆で亡くなった人たちの墓標だったのだと思います」
格司さんが亡くなった後も「思いを残していきたい」と、今は亡き夫の浩司さんと共に守ってきた。信子さん夫妻にも「命をつなぐものとして、子どもや孫に命の大切さを伝えていきたい」との思いがあった。
5本のうち樹勢が弱った2本には以前、治療が施された。このうち1本は回復、現在でも多くの実をつけるという。しかし、もう1本は樹勢が著しく衰え、治療も難しい状況。「本当なら、5本そろって生き続けてくれたらいいんだけど」。窓の外の木を見ながら、信子さんは寂しそうな表情を浮かべた。
今秋のカキの実は豊作の見込み。「毎年カキの実で干し柿を作るのが楽しみなんです」と信子さんは笑顔を見せた。
原爆で亡くなった人たちの「墓標」でもあるカキの木。今も道端で青々とした葉を茂らせている。