「自分の体とこのカシの木、どっちが長生きするか競争なんです」
長崎市江里町の山下寅三郎さん(82)方には、被爆したカシの木がある。山下さんが子どものころ、よく登って遊んだというカシは、原爆によって内部が空洞化するなど、当時の傷跡を生々しく残している。山下さんは当時、兵役のため佐世保にいた。原爆が投下された時、「長崎の方角の空が真っ赤になっていて、ドンと音がした」と振り返る。長崎の様子を見てくるよう上官に言われて帰ったが、家族6人は既に原爆の犠牲になっていた。「出征の時に、弟から『兄ちゃん頑張って』と言われたのが最後だった」と悲しげな表情を浮かべた。
「竹がきれいに同じ方向に倒れていた状況は、今でも忘れられない」と山下さんが話すように、原爆の爆風はすさまじかった。その中でこのカシの木は残っていた。「生きるものだろうか」と思ったくらい、傷だらけだったという。
土地を手放した際も「この木だけは残してほしい」と頼み込んで、現在の場所に移した。「こいつを枯らしてはいけないと思ったんです」と山下さん。
台風などで倒れないように定期的に剪定(せんてい)するなど、手入れは欠かさない。「いつまで残せるか分からないけど、できる限り残していきたい」
原爆により身をえぐられたカシの木は現在も葉を茂らせ、樹勢は衰えず、山下さんと「競争」を続けている。