被爆樹とともに 記憶伝えた64年 1

渇きに苦しむ被爆者らののどを潤したというザボンの木=長崎市曙町の悟真寺

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被爆樹とともに 記憶伝えた64年 1 悟真寺のザボンの木など =爆心地から2.4キロ地点で被爆 被爆者の渇き潤す

2009/07/22 掲載

被爆樹とともに 記憶伝えた64年 1

渇きに苦しむ被爆者らののどを潤したというザボンの木=長崎市曙町の悟真寺

悟真寺のザボンの木など =爆心地から2.4キロ地点で被爆 被爆者の渇き潤す

長崎に原爆が投下されてから、まもなく64年目を迎える。被爆者の高齢化に伴い被爆体験の継承が課題となる中で、原爆の傷跡を残しつつも力強く生き続け、平和の大切さを無言で訴える「被爆樹」。その現状と、取り巻く人たちの思いを紹介する。
被爆樹とともに 記憶伝えた64年

「『水、水』と探していたそうです。よっぽどのどが渇いていたのでしょうね」

長崎市曙町の悟真寺に住む木津園枝さん(88)は被爆当時を語る。同寺の敷地内にあるクスノキやツツジなどは、ほとんどが被爆樹だという。景観や落ち葉処理などの問題で、枝を剪定(せんてい)した木もあるが、すぐに新芽が出てくるという。その中の一本にザボンの木がある。

木津さんは、原爆が投下された翌年、同寺に嫁いできた。当時は寺もぼろぼろで、再建に苦労したらしい。そんな中で、被爆者の義妹にザボンの木の話を聞いた。

それによると、原爆が落ちてしばらくすると、寺にひどいやけどやけがを負った人たちが逃げてきた。のどが渇いていたらしく、まだ青かったザボンの実を、水分欲しさに吸っていた。「その人たちが助かったのかは分からないけど、さぞ酸っぱかったでしょうね」と、木津さんは悲しげな表情を浮かべた。

渇きに苦しむ被爆者たちののどを潤したザボンの木は現在、庭の裏手に移されている。「あの日」と同じように実をつけるというが、今年はまだだ。

木津さんは「ここは日当たりが悪いですからね。日当たりの良い所に移したら、たくさんの実ができるのでは」と話し、ザボンの木を見上げた。「木の生命力はすごい。(敷地内にある木を)これからも残していかなくては