行政判断 迫られる政治的決断
「自分(の認定)は厳しいかもしれない」。厚生労働省被爆者医療分科会が条件付きで基準改定を発表した後、長崎訴訟第1陣の原告、市場楳春(うめはる)さん(63)=西彼時津町=は涙ぐんだ。
市場さんは2002年、十二指腸乳頭部腫瘍(しゅよう)で原爆症認定を申請したが却下された。裁判では、母親が長崎駅から栄町に向かって歩いている途中(爆心地から2・4~3・4キロの間)に胎内被爆したと主張。永久歯が生えず、疲れやすい体質で、01年には膵臓(すいぞう)の半分と十二指腸、胆のうを摘出する大手術をした。08年6月の長崎地裁判決では「母親自身に急性症状が見られない」との理由で敗訴。「それではこれらの病気はどこから来るのか」と悔しさをにじませる。
まだまだいる
基準改定が発表された翌23日、長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長に、ある被爆者の男性(75)から問い合わせの電話があった。「前立腺がんで認定申請したいがどうすればよいか」。長年、訴訟を支援してきた山田事務局長は「あきらめて申請をしていない人はまだまだいる」と言う。「まずは勝訴原告と、まだ判決が出ていない原告を早急に認めるべき」とするが、敗訴した原告、さらにはこれから申請する被爆者をどう救済するか、全面救済に向けて重い課題が横たわる。
原爆症認定制度は、かつては爆心地からの距離などによって放射線による発症リスクを数値化した「原因確率」を認定基準にしていたが、一連の集団訴訟で基準を否定する判決が続出。昨年4月の基準改定後も国は敗訴が続き、東京高裁判決で18連敗を記録した。
これを受けて与党プロジェクトチームは敗訴原告への対応を含めた全面解決を勧告。敗訴原告を救うため、原告団に一括して「解決金」を支給する救済策も一部で浮上したが、厚労省側は税金を投入する「全員救済」に懐疑的とされる。
舛添要一厚労相は、全国原告団代表らとの面会で「この問題が終わらないと戦後は終わらない」と明言。河村建夫官房長官は8月の広島、長崎の原爆の日までに政府案をまとめ、麻生首相が被爆者に意向を伝える方向で調整しているというが、どこまで救済に踏み込めるか不透明だ。
有無に限らず
原爆症認定をめぐり最高裁で勝訴した松谷英子さん(67)の主治医を務め、被爆者医療に長年携わる山下兼彦医師(長崎市)は今後の認定行政の在り方について「放射線起因性の有無に限らず、裁判所や国がこれまで認めてきた疾病は一律、行政の窓口で認め、それ以外の疾病は審査会に諮る、とすべき」と指摘する。
市場さんは「病気が原爆によるものだと国が認めない限り最後まで争う」と自らを奮い立たせる。国は高齢の被爆者をどこまで闘いに駆り立てるのか-。全面救済に向けて政治的決断が迫られている。