線引き 「総合的判断」を訴え
「今生きていて良かったと思う。生きていればこそ原爆の悲惨さを伝えることができる。命を大切にしてください」
6月初旬、被爆者の下平作江さん(74)=長崎市油木町=は、修学旅行で長崎を訪れた小学生らに被爆体験を切々と語った。
爆心地から約1キロ地点で被爆。直後から脱毛、血便などに悩まされた。家族を原爆で亡くし、妹は被爆の苦しみから逃れるため自ら命を絶った。自身も子宮筋腫、虫垂炎、胃潰瘍(かいよう)などを次々と発症。こうした体験と病を抱えながらも「生きること」の大切さを語り続けてきた。
夫と判決に差
2002年に慢性肝炎で原爆症認定を申請。しかし、却下された。この後、司法と行政の間で揺れ続ける。原爆症認定をめぐる長崎訴訟第1陣に名を連ね、昨年6月の長崎地裁判決では原爆症と認められた。ところが国は動かない。昨年4月以降、がんや白血病など5疾病は積極認定しているが、慢性肝炎は対象外とされてきたため、今も国は認めないでいる。
さらに、地裁判決を素直に喜べなかった理由がある。原告27人のうち7人が原爆症と認定されず、その中には、夫の隆敏さん(80)もいたからだ。
隆敏さんは、爆心地から約4・5キロ地点で被爆し、自宅のある爆心地近くに戻り、1週間過ごした。02年、甲状腺機能低下症で認定申請したが、翌年却下。理由は被爆時の爆心地からの距離だった。現在は、作江さんの介助がなければ歩くことができない。
認定待つ7800人
3月末現在、長崎市在住者で積極認定での認定済みは536人だが、大多数はがんや白血病。積極認定の対象外だと5人にすぎない。全国で約7800人、長崎市では1278人の被爆者が認定待ちを強いられている。
訴訟は国、原告の双方が控訴し、福岡高裁で係争中。そんな中、夫妻が患う慢性肝炎、甲状腺機能低下症も積極認定の対象に加えられた。司法判断で認定済みの作江さんには光明に見えるが「放射線の起因性」が問われる条件付き改定に不安もよぎる。
まして、隆敏さんは裁判でも認定されていない。ともに複数の病気を抱えながら支え合ってきた夫妻なのに、明暗を分けかねない。
作江さんは、国が原爆症認定で設ける距離などの線引きや条件が、被爆者が64年間背負ってきた苦しみにまで差異をつけているように思えて悔しい。「被爆時の状況、これまでの病歴…すべてを含めて総合的な判断をすべき。このままでは安心して治療が受けられない」と切実に訴える。