沈黙
 =被爆遺構= 5(完)

被爆の実相を語る室園さん(右下)=長崎市松山町

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沈黙 =被爆遺構= 5(完) 被爆の実相を語る室園さん(右下)=長崎市松山町

2008/08/09 掲載

沈黙
 =被爆遺構= 5(完)

被爆の実相を語る室園さん(右下)=長崎市松山町

被爆の実相を語る室園さん(右下)=長崎市松山町

「浦上川では、水を求める人が群がり、折り重なるようにして絶命していきました」-。真夏の日差しがまぶしい長崎市松山町。爆心地からわずか〇・五キロの浦上川に架かる下大橋。

長崎平和推進協会主催の被爆遺構巡り。同協会継承部会碑巡り班長の室園久信さん(81)は、三菱長崎造船所太田尾工場で被爆。下大橋から浦上川沿いを歩いたときの記憶を生々しく語る。参加した市民らの目に映る風景の上に六十三年前の惨状を想像させる。

長崎市は一九九三年から、被爆した建物や橋、植物などの現況調査を開始。九六年、報告書「被爆建造物等の記録」にまとめた。ところが、現存していた百三十七カ所の被爆遺構のうち十四カ所は現在までに滅失。老朽化や都市開発による建て替えなどさまざまな理由からだ。

姿を消す被爆遺構。室園さんは「遺構には原爆の悲惨さを伝える力がある。ありのままの状態で後世に残すことが、今を生きる私たちの使命ではないか」と話す。遺構をたどり被爆の実相を語り続ける。