弁財神社の鳥居 爆風で柱だけに
稲佐中央通りの商店街を抜け、長い階段を上ると、古びた二本の石柱が立つ。爆心地から南に二・二キロの長崎市曙町。地元住民からは「稲佐の弁天さん」と呼ばれ親しまれる弁財神社。入り口にドッシリと立つその石柱は、六十三年前のあの日までは「鳥居」だった。
原爆の爆風で、それまで境内に入る階段の上り口で参拝客を出迎えていた鳥居は、一瞬にして上半分が吹き飛ばされた。「いかに爆風がすさまじかったか。一目すれば言葉はいらない」。地元自治会長の川下松治さん(72)は、同神社を訪れるたびに原爆の威力を痛感する。
被爆から十五年後、道路拡幅工事に伴い境内に移転。「神様を祭る場所だから大切にしよう」「原爆による被害を後世に伝えたい」という住民らの思いがあった。
長年の風雨で表面が欠けるなど老朽化が進んでいる。川下会長は「存在し続けることに意味がある。残すことが私たちの使命」と言葉に力を込める。