被爆カキの木 22ヵ国に平和の苗木
長崎に原爆が投下されてから、まもなく六十三年。被爆遺構が、時代の流れや都市化とともに、次々と姿を消している中で、今もなお被爆の実相をまざまざと伝える“もの言わぬ被爆者”たちを紹介する。
爆心地から二・三キロの長崎市若竹町の民家に樹齢二百五十年のカキの木がある。六十三年前に被爆。熱線で表皮は炭化。枝葉は爆風ですべて吹き飛び、幹だけになった。だが、奇跡的に生き残り、二年後には実を付けた。
持ち主の森田隆さん(75)は「戦時中は実を売って家族の生活を支えた。よく生き残ったものだ」と静かに話す。
ところが次第に衰退。内部は空洞化、腐食も進んだ。撤去を考えたが、被爆体験の継承に取り組む市民団体から「被爆遺構として残してほしい」との要望。保存を決めた。「原爆のすさまじさを物語るこの木が生き続けることで、核廃絶を訴える発信源になれば」との思いからだった。
木を治療した樹木医らの手によって、種から育てた苗木が今、平和のシンボルとして国内外に植樹されている。その“被爆カキの木二世”はスイスや韓国など二十二カ国の大地に根を張っているという。地道だが着実に広がる活動。森田さんは核廃絶へ期待を込める。消えない傷を負った木は今夏も実を付け、路上に影をつくっている。