継承 「さだコン」脱却へ
毎年「広島原爆の日」の八月六日に、同じ被爆地である長崎市の稲佐山で開かれる平和コンサート。同市出身の歌手さだまさしさんが二十年にわたって開き全国的に知られたが、二〇〇七年から地元有志が引き継いだことで新たな展開を見せ始めている。
「だったら、おまえがやれよ」。さださんの稲佐山コンサート最後となった〇六年八月六日、雲仙市のミュージシャン川田金太郎さん(49)は「師匠」と仰ぐさださんから“後継指名”を受けた。
さださんは以前から「種まきはした。後は皆さんがどんな花を咲かせるかだ」と語っていたが、その時点で継承の動きはなかった。
コンサート本番前、舞台裏でさださんに「いよいよ最終回ですね。師匠が二十年やってきたことを引き継ぐのは(誰がやっても)簡単じゃないですよ」と川田さんが言ったところ、返ってきた言葉が「おまえが-」だった。翌日、川田さんは市役所を訪ね、翌年の会場使用を申し込んだ。
さださんの平和コンサートは「夏 長崎から」と題して一九八七年から無料で開催。毎回二万人超を集めたが、二十回を区切りに終了。〇七年から川田さんら地元有志が「夏!まだまだ長崎から」のタイトルで開いている。
師から弟子への継承-ともいえる展開。だが、その裏には「コンサートの意義を果たせているのか」というさださんの深い苦悩があった。
コンサートで発信したメッセージは「音楽を楽しめるのは平和だから。来年も楽しむためにどうするか」という緩やかなもの。身近なところから平和を守る感性をはぐくむものだったといえる。
しかし、その訴えがどれだけ聴衆に届いたのかには疑問の声も。「夏のさだコン」と呼ばれたように、さださんの集客力は絶大だった一方、プロ歌手の単なる音楽会と受け取られるジレンマに陥っていたという。「メッセージが十分伝わっていない。大事な平和な祭りにできなかった」。さださんは今も悔しさをにじませる。
そうして継承された〇七年のコンサートには本県ゆかりのミュージシャンら十二組が出演、約千二百人が平和なひとときを共有した。規模は大幅に小さくなったが「逆に訴えは伝わりやすくなった」と川田さん。「来ても三百-四百人と思っていた。素晴らしい」とさださんはたたえた。
新たな形で再出発した平和コンサート。さらに今年、川田さんは実行委員長に現役女子高生の井川由梨さん(16)を抜てき、次世代への継承を強く打ち出した。「いつまでも『さだコン』ではいけない。『地元の連中がよくやってるな』とさださんが見守っていられるようにしないと」。昨年、会場で流したさださんのメッセージは今年は用意していない。