被爆 皮膚はがれ「生き地獄」
「浦上川の ながれと潔く 常に澄みたり」-。勝二が通った県立長崎工業高の校歌にある一節。一九四五年八月九日。「常に澄みたり」とうたわれた川は、変わり果てた。水面には油が浮き、水を飲みながら死に絶える人。その死体の上にかぶさるようにして水を飲み、命尽きる人。
十三歳の勝二はあの日、友人六人と母校へ向かっていた。途中、のどの渇きをうるおそうと土手に上り、農家の井戸に立ち寄った。井戸水をつるべでくみ上げようとロープに手をかけた時だった。雲の切れ間から二つの落下傘が視界に入った。手をかざして見た瞬間、いきなり右側から、激しい衝撃を受けた。
「吹き飛ばされながらも意識はあったよ。体がするめが焼かれたようにまるまっていく感じ。水が張られた田んぼがクッションになったのか、みんな生きとった」
井戸から田んぼまで約四十メートル。両手両足の皮膚ははがれ、それが指先でとまり、だらんと垂れ下がった。むき出しの肉に強い日差しが当たる。焼けるようだ。ふと見ると、焼け残った葉っぱがあった。夢中でむしり取り、皮膚の代わりに肉に張り付けた。垂れ下がった皮膚は引きちぎった。
しばらくして「助けてくれー」と、泣き叫ぶ声。焼けただれた大人の女性らが目の前を通り過ぎていった。その後について浦上川を目指した。
浦上川までの道のりには、言語を絶した惨状が広がっていた。手がない人、足がない人、内臓が飛び出た人、目が飛び出た人、黒焦げになった人、焼けただれながら生きている人。
やっとたどりついた浦上川。一緒に来た大人たちが駆け降りていったが、皆、水を飲みながら息絶えていった。地獄絵どころの光景ではなかった。
「けがばしたときは絶対に水を飲むなよ」。勝二らは、毎朝学校で聞かされていた教練の先生の言葉を思い出し、水は飲まなかった。生きようと思った。
「最初は痛いという感覚はあまりなかった。川から戻る途中からが生き地獄」
井戸まで戻ることにした。体中に張った葉っぱは乾き、ポロポロと落ちていく。肉に突き刺さる太陽の光。「こがん暑かったら夕方までもたん。死んでしまうばい」「いや、まだがんばれ」。励まし合いながら井戸があった土手のくぼ地までたどり着いた。体を寄せ合いながら日が暮れるのを待った。ようやく山陰に太陽が隠れた。「これで助かった」。思わず声に出た。
だが、苦しみが終わったわけではなかった。それまで意識していなかった顔がボコボコと腫れ始め、両目がふさがった。何も見えない。夜になり、次第に意識が遠のく。「寒い。寒い…」-。
被爆した場所は現在の江里町。爆心地からわずか八百五十メートル。行動を共にした六人はその後、全員死亡する。勝二だけが生き残る。(敬称略)