手帳
 =被爆63年・長崎= 3

闇(写真はイメージ)

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手帳 =被爆63年・長崎= 3 罪 平和の願い踏みにじる

2008/07/31 掲載

手帳
 =被爆63年・長崎= 3

闇(写真はイメージ)

罪 平和の願い踏みにじる

県内のある農村。「手帳の話を…」と切り出した途端、玄関先で孫と戯れていた六十代の男性から笑顔が消えた。

「そん話はよか。もうすぐ県に返し終わるけん、もうよか」

一九九九年に県の調査で不正取得が発覚したきょうだい四人の一人。返しているのは数年分の健康管理手当約百万円。分割払いで毎月末、県職員が約一万二千円を集金に来る。

「振り込むからいちいち来んでよかって言っても、わざわざ来よる」。不愉快そうな表情で語るその口調からは、不正取得したとの罪の意識は感じられない。

それもそのはずだった。胸にたまった思いを吐き出すようにこう語る。

「おいはまだ被爆者だと思っとる。でも県がそがん言うんだから仕方がなかろうもん。それにしても…」

密告したのは誰か-。何よりそう言いたげだった。

一九四五年当時、男性は二歳。記憶はないが、きょうだいから「長崎にいた」と聞かされた。それを信じ、虚偽だと認定されてもまだ納得はしていない。

だが県によると、きょうだいの別の男性について「八月九日、長崎市内にいなかった」との投書があった。再調査でこの男性はあっさり虚偽を認めたという。

「なぜ」を聞きたくて男性を訪ねると「また今度…」と言ったきり翌日から玄関に出てこなかった。冒頭の男性によると、きょうだいでもそのことについて話すことはないという。どんな被爆者観を抱いているのだろうか-。

今回のケースでは証人(故人)が虚偽の証言をした。県の調べに証人は「頼まれて証言した。やむなくした」と答えたが、お金や欲、情に駆られて「つい引き受けてしまった」という状況が起こりうるのは想像に難くない。

近年特に、手帳を取得することはすなわち、証人をいかに見つけられるか-を指す。罹災(りさい)証明書など公文書での被爆証明がますます難しくなっているからだ。

証人を立てなくても被爆当時の状況を記した本人の申述書で申請することはできるが、「認定したくても記憶があいまいだったりして客観的事実として認定するのが難しい面がある」と県の担当者。

長崎原爆被災者協議会事務局長の山田拓民は「世の中には泥棒もいれば詐欺師もいる。仕方ないじゃないかとの思いもあるが、それ以上に手帳が取れないと困っている被爆者がまだ大勢いる。偽は微々たるもので全体のすう勢ではない」と話す。

それでも-。「偽りの被爆者」は市民にとっても、被爆者にとっても見たくはないが、足元に横たわっている。平和を発信する町を踏みにじる存在。この存在に目を背けることはできても、消すことはできない。(敬称略)