偽り 不正取得、なりすます
一九八七年十一月五日。新聞各紙にこんな見出しの記事が載った。
「被爆者と偽る 不正に手当受給 老人を書類送検」「ニセ被爆者百六十万円詐取」
手帳交付が始まった五七年。出兵で中国江山省にいた県内の男性が原爆投下直後の八月十三日に死体整理で長崎市城山町に入ったと虚偽申請。手帳を取得し六八年から健康管理手当の支給が始まると、その後約十年間にわたり手当を受け取っていた、と報じた。県警に投書があり摘発された。
「同じ趣旨の投書や電話は今もあります」。県原爆被爆者援護課の職員は、新聞の切り抜きを眺めながらため息をついた。
「偽りの被爆者」。その存在は被爆地長崎で早くからささやかれ、感情的な言葉とともに住民の中に深く潜行する。
「あの時いなかったはずなのに」「手当でよか生活ばしよらす」
耳を澄ませば聞こえてくるそんな言葉は、原爆で身も心も傷ついた隣人の痛みを共有し切れていないという足元の現実とともに、被爆者の権利をも否定するかのように語られる。
不正取得者は被爆者ではない。詐欺という罪。だが、何食わぬ顔で被爆者になりすまし、確実に公的な被爆者の一人として記録に刻まれる。
何がそうさせるのか-。
以前、希望者のために相談業務をしていた男性が代弁するように打ち明ける。「人間の欲や生活困窮など社会がつくり出した側面が多分にある」
男性にはこんな経験がある。二十年ほど前、初老の夫婦が手帳を取りたいと訪ねてきた。「九日は五島にいて数日後、手こぎ船で五島灘を渡って長崎市に来た」と説明した。
こいで渡るなど非現実的だった。うそだと思った。だが病気がちで治療費がかさむと聞かされた。「子どもに迷惑を掛けたくない」と。
交付が始まった当初。地区の自治会長らが何十世帯をまとめて申請した。究極に言えば自己申告に支えられた制度。「本当にいたか、いなかったのかは…」。疑わしきを含め寛容な時代だった、と男性は言う。
老夫婦のケースでは生活保護を受けることも考えられた。「どうせ国が面倒を見るのならば、どちらが幸せか…」と思ったという。
法に基づき被爆者であることを証明する手帳。現実は少しずれて被爆地をのみ込んでいる。
県は冒頭の男性以降、平成の時代になって、きょうだい四人の不正取得を確認している。訪ねてみると意外な言葉が返ってきた。