消えた女学校
 =常清・被爆63年目の証言= 5(完)

浦上天主堂を望むカトリック墓地に立つ常清の慰霊碑=長崎市高尾町

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消えた女学校 =常清・被爆63年目の証言= 5(完) 平和 「戦争は人間の仕業」

2008/07/21 掲載

消えた女学校
 =常清・被爆63年目の証言= 5(完)

浦上天主堂を望むカトリック墓地に立つ常清の慰霊碑=長崎市高尾町

平和 「戦争は人間の仕業」

米軍が撮影した被爆直後の記録フィルムを基に制作された映画「にんげんをかえせ」。そこに、熱線で焼けただれた一人の若い女性が映し出される。常清高等実践女学校(在籍時は常清女学校)出身の片岡ツヨ(87)。カトリック信者の片岡もまた、心と体の傷を背負って戦後を生きてきた。

三菱兵器大橋工場(爆心地から一・四キロ)で被爆。大やけどし、生死の境をさまよう。姉ら肉親十三人を亡くし、自身も爆風で左耳が全く聞こえなくなった。

被爆で一時的に視力を失っていた目は九月に入ってぼんやりと見え始めた。右手の親指は人さし指にくっつき、やけどのあとがピンクと白のまだら模様になっていた。「おっかあ、顔はどうなってるね」。看病の母親は「顔(のやけど)は少しだから、頑張らんば」と言うだけだった。

収容先の病院から歩いて外出できるようになったある日、近所の女性とばったり会った。不思議と相手は自分のことに気付かない。声を掛けた。「おばさん、元気で良かったね」。女性は驚いて泣きだした。「どうしようか。そんな顔になってしもうて」

鼓動が鳴った。鏡の破片を見つけ、震えながら手に取った。「いやっ」。すぐに鏡を投げ捨てた。ケロイドの顔をさらすのが嫌で、人目を避ける毎日が始まった。結婚もあきらめた。

「原爆は神の摂理」。戦後、癒えぬ被爆者を慰め合うため、信者らが口にしていたこの考えに片岡は疑問を持っていた。「私は罪人だから全身を焼かれたのか。死んでいった子どもたちには何の罪もないのに。それも神の意志なのか…」

だが、一九八一年、来日したローマ法王ヨハネ・パウロ二世が核兵器廃絶を世界に訴えた平和アピールは、片岡を長年の苦しみから解き放つ。「戦争は人間の仕業である」-。過去を忘れるのではなく、将来に向かって立ち上がることの大切さを説いた法王の言葉に突き動かされ、被爆体験の語り部となる。この時、六十歳。あの日から四十年近くがたとうとしていた。

浦上天主堂を望むカトリック墓地。ここに、原爆についえた常清の教職員、女学生らを追悼する石碑が立つ。一発の原爆で多くの人命も、母校も消えた。そして、戦争で互いの国が殺りくを尽くした。今、その理不尽さをあらためて思う。「自分だけがよければいいという考えは人を弱い立場に追いやり、差別や戦争を生む。私たちが受けた苦しみだけは、どこの国の人にも絶対に味わわせたくない」。戦争を始めるのは人間だが、人間は平和を築き上げることもできる。片岡はそう確信している。(敬称略)