ハードル 被爆地から変えよう
原告団副団長の深井治夫さん(81)=長崎市三原一丁目=は、四月に導入された新認定基準の「積極認定」に当てはまらない一人。申請疾病名「慢性肝炎」。他の地裁の判決では認められるケースが出ているが、本人は「五分五分かな」と思っている。
原告二十七人のうち、深井さんの慢性肝炎など肝機能障害の疾病で提訴したのは六人。うち二人は申請後に肝臓がんになり、認定されている。
原告を支援する長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の山田拓民事務局長は「病状が悪化し、死をも意識するようになってはじめて認定される変な新基準だ」と指摘する。
残る四人。弁護団長の中村尚達弁護士は「この方々が認定されるかは、勝訴を定義づける鍵の一つになる」とみる。幅広く認められれば、新基準の疾病に新たに加えるよう厚生労働省に求めていく方針だ。
ただ、中村弁護士は原告全員を見渡したとき、「判決は楽観視できない」と言う。「弁護団でも評価が分かれる人もいる。裁判所がどこまで判断してくれるか…」と気をもむ。
しかし今回の判決の意義について、こう指摘する。
「被爆地長崎での判決がどうなるかは、全国的な注目を集める。現在、審理係争中の他の裁判に大きな影響を与える」
深井さんもそう信じている。「国は再び被爆者をつくらない証しとして、被爆の被害を故意に過小評価することをやめ、認定行政を根本的にあらためるべきだ。それを突き動かせるのは被爆地からしかない」
十八歳の時、爆心地から約一・五キロの井樋の口町で走行する路面電車の中で被爆した。翌日から歯茎の出血や鼻血が止まらず、下痢や発熱が続いた。
疲れやすい体質になり、仕事に就いては休職する日々。「原爆の人」とさげすまれ、職を転々とすることを余儀なくされた。ボーナスはもらったことがない。「身も心も本当にぼろぼろです」
原爆の放射線が人体にどういう影響をもたらすのか、全容は解明されていない。だからこそ、司法の場で原爆に翻弄(ほんろう)されてきた人生を認めてほしいと願う。
十四日午後二時、長崎市のJR長崎駅前高架広場。判決前最後の街頭宣伝活動で、支援者は認定制度を抜本的に見直すための署名活動に取り組んだ。
山田事務局長はマイク越しにこう訴えていた。「制度は、国に使えない間違ったものに変えられた。完全勝訴でそれを変えよう」
原爆投下から六十三年。原爆による病と信じても高いハードルに阻まれてきた原告たち。司法の判断が注目される。