新基準 原告分断する制度
新基準による認定書が原告団長の森内實さん(71)に届く三日前の五月二十六日。原告の森山直人さん=仮名=の遺族にも同じ書類が届いた。
訴訟を引き継いだ妻の多佳子さん(78)=同=は、台所の食器棚に飾ってある孫と写った直人さんの写真に語り掛けた。
「生きているうちにもらえればよかったのにねえ、お父さん」
夫の安心した顔を見られないことが、つらい。
二〇〇五年十二月十五日、七十五歳で亡くなった。五十年目の結婚記念日。数日前、入院先の病院で「自宅で祝えたらいいのに」と話したばかりだった。大工の夫と一緒に建てた自宅。柱一本、ふすま一枚に二人の思い出がある。穏やかで優しい夫だった。でも、貧血を起こすなど体調は優れず、甲状腺がんや肝臓がんで手術。闘病生活はつらそうだった。
直人さんは爆心地から約二・七キロの五島町で被爆。勤務先からトラックのバッテリーを歩いて運んでいた時、爆風で吹き飛ばされた。右ひじと右ひざにガラスが刺さるけがをしたが、十一日からは爆心地付近を救護などで朝から晩まで歩いた。
結婚五年目。多佳子さんは直人さんの母親から被爆したことを知らされた。本人は言いたくなかったのだろう。そういえばアジの開きは口にしなかった。遺体の火葬を手伝ったことを思い出すのだと思う。原爆がもたらす闇。そんな夫が提訴に踏み切った。
「認定の壁に阻まれている同じ境遇の人の一助になればと思ったのでしょう」
従来の基準を大幅に緩和し、四月から始まった新基準。見直しは直人さんら全国の原告三百五人が立ち上がったことが原動力になった。国は全国各地の裁判で六連敗し、司法から被爆者行政に警鐘を鳴らされた。
しかし、本県の原告の場合はいみじくも、直人さんや森内さんのように判決を前にして“目的”を達成してしまう人が多く出る事態になった。原告団によると、二十日現在で原告二十七人のうち十一人が認定された。森内さんは複雑な表情でこう語る。
「前進とは思う。だが、これは被爆者を、原告を分断し線引きする制度。全員認定でないと意味がない」
司法と行政に二重基準が生まれ、被爆者救済が遠のくことを懸念する。
直人さんの死から二年半が過ぎた。子や孫に恵まれ、多佳子さんは「いい夫に巡り合えた」としみじみ思う。今は毎日、夫がいつも座っていたいすに腰掛け、あの人が見てきた視線から日常を見ている。ずっと寄り添っていたくて。会いたい。
二十三日は裁判所に行くつもりでいる。新基準で認定はされたが、夫が最期まで闘った場所。「全員を認定してほしい」と思う。