在外被爆者は今
 =検証・改正援護法= 上

手帳の交付を待つ鄭さん=昨年12月、韓国・陜川の病院

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在外被爆者は今 =検証・改正援護法= 上 時間 課題積み残し焦りも

2008/06/12 掲載

在外被爆者は今
 =検証・改正援護法= 上

手帳の交付を待つ鄭さん=昨年12月、韓国・陜川の病院

時間 課題積み残し焦りも

「夜には全身が痛い。食べ物も口に入らない」

静かな山あいの韓国・陜川(ハプチョン)の病院に、広島で被爆した鄭南壽(チョン・ナムスウ)(88)は入院している。約六年前に転倒事故で骨折し、寝たきりの状態。もう何年も病院の外には出ていない。

鄭には日本の被爆者健康手帳がない。二〇〇三年、手帳を取得した海外の被爆者にも日本国内の被爆者と同じように手当が支給されるようになったが、手帳を取るには日本に来ての手続きが必要という「来日要件」はそのまま残った。渡日できない鄭は県に書類を郵送したが、却下された。

被爆が認められながらも来日できない人に日本側が発行している被爆時状況確認証は交付されたものの、それでは被爆者援護法の施策は受けられない。同じ場所で被爆した長男、姜碩鍾(カン・ソクジュ)(68)は手帳を持つ。母と子の明暗を分けたのは手続きのために来日できたかできなかったか、の差だけだった。

鄭は昨年二月、長崎の支援者の手を借り、却下処分の取り消しを求めて長崎地裁に提訴した。「(手帳をもらって)配給(手当)が出たら薬を飲んで、大きな病院で体を治したい」。苦痛に顔をゆがめる母親の小さな手を姜が握り締めた。

高齢などで無理が利かない在外被爆者にとって、手帳の来日要件が援護の入り口に立ちはだかってきた。厚生労働省は「しっかり調査して確認する事務は海外では難しい」などと説明してきたが、長崎で鄭を支援する平野伸人(61)は「被爆の事実の審査は手帳も確認証も同じ。手帳だけに来日を課す必然性はなく、強弁にすぎない」と反論。在外被爆者を締め出してきた国の姿勢を物語っている、とみる。

在外被爆者は長年の裁判で一つ一つ権利を勝ち取り、国は敗訴しては少しずつ援護制度を見直す対応に終始してきた。一方で、高齢化した原告が判決を前に死亡するケースも続く。鄭と同様の訴訟は、ブラジル移民の日本人らによって全国で四件が起こされたが、これまでに原告十一人のうち六人が亡くなっている。

「来日要件が撤廃されても、寝たきりの人は在外公館にさえ行けない。血の通った運用が必要だ」。関係者が求める、国内の被爆者と同じような現地での医療給付や介護手当支給などの課題は積み残され、平野は高齢化が進む在外被爆者の現状を「時間との闘い」と表現する。 (敬称略)