平和活動特別ではない 固定観念打破した高校生
一九九八年五月、インド、パキスタンが核実験を強行。市民団体でつくる「ながさき平和大集会実行委」は、被爆地長崎から核拡散反対の声を国連に届けようと、若者から代表選抜する試みを始めた。高校生平和大使はこうして誕生した。
これまでに国連に派遣されたのは計二十六人。二〇〇一年、平和大使の経験者が始めた「高校生一万人署名活動」で集まったのは計約二十八万人分に上り、歴代の大使が国連に届けてきた。
ただ、高校生の平和活動そのものは二十年以上前からある。八一年に高校教師が主体となり始まった「高校生平和ゼミナール」。全国の高校生が集う「全国高校生平和集会」の企画、運営などに当たった。
だが、認知度や社会的支持は、今とは大きく違う。教育現場での“縛り”がその背景にあった。ゼミの世話人だった元高校教諭、萩谷瑞夫さん(75)は当時を「平和教育が認められず、校内では八月九日しか平和の話ができなかった」と振り返る。学校側に知られないよう代表者以外の名前は非公開。メンバーは最多時で二十人。活動は九〇年代後半をピークに停滞、姿を消した。
「高校生平和集会」は現在、活水高の平和学習部が担う。二十年前に同部を発足させた草野十四朗教諭(52)は「今の高校生にとって、平和活動は特別ではない。大人の支援環境も整ってきた」と感じている。
高校生平和大使は、一般市民からの募金を基に国連に派遣されるという、市民と一体化した活動方法を取る。かつてゼミの世話人だった元高校教諭の広瀬方人さん(77)は、「平和活動は特定の人がやるもの」という固定観念を打ち破った点で、平和大使は「感覚が新しい」と話す。
高い知名度を得た平和大使。だが、課題は別にあった。社会にはすでに数多くの平和団体があり、方向性も違う。平和大使世話人の平野伸人さん(60)は、その中でどうすれば“色”に染まらず、フリーハンドの立場を貫けるか頭を悩ませた。
達した結論は、むしろ「相手を選ばないこと」だった。「寺や教会、ボランティア団体、原水禁系、原水協系。生徒たちは集まりがあればどこにでも出掛け、活動を報告した」。この夏も出席依頼は引く手あまただ。
平野さんは言う。「支援金集めは苦しいが、スポンサーは付けない。市民の応援あっての活動。自分たちのスタンスを守ることを大事にしたい」