脱力感 凶弾に主義主張なく
二〇〇六年秋。長崎市の長崎ブリックホールのステージ裏で、高校生一万人署名活動の世話人、平野伸人さん(60)は、伊藤前市長と隣り合わせて座っていた。ともに反核非政府組織(NGO)が集まる「核兵器廃絶-地球市民集会」の開会を舞台裏で待っていた
「ライフワークがある人はいいね。強い」。不意に伊藤前市長が声を掛けてきた。在職十二年のうち、前市長が“個人の顔”を眼前で見せたのは、このときくらいだ。
原爆落下中心碑の撤去・建て替え問題や在外被爆者訴訟などで、市民運動の先頭に立った平野さんは長年、伊藤市政と対峙(たいじ)してきた。行政と市民。政治家と平和運動家。立場、主義主張の違う者同士が時としてせめぎ合う。それが民主主義の姿だ。
多くの場面で衝突してきた前市長が、暴力団幹部に射殺された。「足元からガラガラ崩れていく感じ」。平野さんを脱力感が襲った。
一九九〇年、「天皇に戦争責任はあると思う」と発言し波紋を呼んだ当時の本島等市長が、右翼団体メンバーに銃撃された。本島発言の底には、国家が戦争を引き起こした結果として原爆投下されたのだという、被爆地の市長としての論理があった。暴力による言論の封殺は、被爆都市への挑戦を意味した。
だが、伊藤前市長の射殺事件は、民主主義、言論の自由を標的にしていない。暴力団幹部の個人的な逆恨みによるものとみられている。
一人の男の激烈な感情に根差す暴力が、長い時間をかけて積み重ねてきた平和活動を根底から揺さぶった。平野さんのショックは大きかった。「何をしていいか分からなくなった」
一方で、事件の教訓として打ち出されたのは、行政対象暴力への対処など暴力追放運動の喚起が柱だ。平和都市、被爆地としての取り組みとは切り離されている。
「広く『暴力の否定』について、身近な問題として引き寄せて考えられないか」
元小学校教諭で活水高校非常勤講師の被爆者、山川剛さん(70)は言う。「学校では、平和の対義語は戦争だと教わる。だが、国際的には平和の対局に暴力を置き始めている」。平和は、差別や貧困など足元にある「暴力的なもの」の否定から始まる、という国際的な流れがある。それを「被爆地にも」と考える。
被爆地で起きた射殺事件も、足元から考える平和だと言えないか-。山川さんは、事件を機に、暴力と平和をつないで考えられないか糸口を探っている。