新たな試み 文学作品通し追体験
「体験してないあなたたちに、何が語れますか」―。約十年前、被爆体験の継承を目指す若手グループに対し、ある被爆者が投げ掛けた問い。
「被爆者の体験や苦しみを自分自身の悩みや苦しみに置き換えて考え、理解し、共通のものにする」―。「長崎の証言の会」創設者、故・鎌田定夫さん(二〇〇二年死去)の思想。宮崎県出身で被爆者ではなかった鎌田さんの言葉を受けて、体験のない世代に語り継ごうとしている被爆者がいる。
「言葉には限界がある」―。証言の会の代表委員を務める広瀬方人さん(76)は二十数年、自身の体験を語るだけでなく、ほかの被爆者の体験を記録しても、言いようがないもどかしさを感じていた。
そんな時、出会ったのが俳人、松尾あつゆき(一九〇四―八三年)の「原爆句抄」だった。「炎天、子のいまわの水をさがしにゆく」。原爆で妻子四人を失った悲しみを抑制した筆致で描いた句に心を揺さぶられた。
広瀬さんは約六年前から、証言の会が案内する修学旅行生向けの碑めぐりコースに「松尾あつゆき句碑」(平野町)を加えた。
約二年前からは、長崎で被爆した作家、林京子さんの代表作「祭りの場」を題材にした碑めぐりを模索。林さんが被爆した長崎大文教キャンパス(当時の三菱兵器長崎製作所大橋工場)周辺を歩き、作品を手掛かりに「あの日」を追体験する取り組みだ。
被爆当時、長崎電鉄の車掌だった和田耕一さん(79)は約三年前から、修学旅行生や長崎市内の小、中学校での講話に若手を誘うようになった。学生時代から平和活動に取り組んだり、行政機関の平和を担当する部署に勤める二十歳代の女性たちだ。
講話では、和田さんが友達を捜し回り、火葬した体験を話した後、若手にバトンタッチする。
「子どもたちとの年齢差は広がるばかり。若い感性で話してもらったら、子どもたちに印象深いかと思って」。そんな気持ちから始めた。
「祭りの場」の碑めぐりコースが、今秋初めて修学旅行生に案内される。だが、広瀬さんは同行しない。証言の会の被爆二世の女性に任せるつもりだ。「体験のない世代が優れた文学作品を活用すれば、『あの日』を語り継ぐことができる」。広瀬さんと和田さんの試みはまだ続く。