「語り」の風景
 =被爆61年をすぎて= 3

「政治的問題の発言を慎むように」―。長崎平和推進協会が配った要請文書。市民団体などが撤回を求め波紋を広げた

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「語り」の風景 =被爆61年をすぎて= 3 大同小異 「政治的発言」是非で溝

2006/08/30 掲載

「語り」の風景
 =被爆61年をすぎて= 3

「政治的問題の発言を慎むように」―。長崎平和推進協会が配った要請文書。市民団体などが撤回を求め波紋を広げた

大同小異 「政治的発言」是非で溝

「小異はそのままにして、大同につこう(違いを認め合い、大きな流れをつくろう)」―。

長崎平和推進協会の初代理事長、故秋月辰一郎さんが、主義主張の違いを認め核兵器廃絶運動への市民の結集を呼び掛けた言葉だ。だが、秋月さんが昨年秋に死去した後、協会は揺れた。

「被爆者は評論家ではない。講話は中立な立場で」。一月二十日、被爆者ら三十八人でつくる同協会継承部会の臨時総会。天皇の戦争責任、イラクへの自衛隊派遣など八項目の「政治的問題」を挙げ、「発言を慎むよう」と記された文書が事務局から配られた。

「被爆体験を主にしてほしい」「教育の中立性を保ってほしい」。文書には学校や旅行業者の意見も並んだ。協会は年間一千件超の講話を受け付けているが、「聞き手」の声は悩みの種だった。

「意見が分かれる問題が積み重なり、考え方をまとめた方がいいと思った」。文書を配布した直後、当時の事務局長(長崎市職員)はこう説明。「核兵器廃絶と世界恒久平和という一点でまとまった設立理念に戻る」と、秋月さんの言葉を持ち出した。

積み重なった問題とは―。協会は二年前、長崎市で開かれた全国平和教育シンポジウムの後援依頼を、「趣意書に有事法制反対の文言がある」として拒否。継承部会内の「ピーストーク班」向けの問答集作成では、「有事法制」など社会問題に関する回答をめぐり、班員と事務局が意見を異にした。

さらに、昨年七月の「被爆者と中学生の継承を考える集い」。中学生の一人が「靖国神社」に関する総合学習を紹介した後、コーディネーターの被爆者が他の中学生に意見を求めた。すると、協会事務局幹部が被爆者を室外に連れ出した。

理由はいずれも「協会は公益性が高い財団法人。国論を二分する問題は中立の立場」(事務局)。

そして、問題の要請文書に至った。その後、市民団体などが文書撤回を求める騒動に発展。六月の部会臨時総会で文書が撤回されるまで続いた。「もっと部会員と連携を深めておけばよかった」。文書撤回に動いた同協会事業推進委員長の奥村英二さん(67)は語る。

「政治を語らずして平和は語れない」「文書は参考になる」。語り部には賛否両論がある。語りの違いを認め、質を高められるのか。課題は積み残されたままだ。