意 義 核時代脱却する力に
米国の原爆投下から六十一年が過ぎ、県内被爆者の平均年齢は七十三歳を超えた。「体験を語り継がねば」という思いは強い。今年一月、長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」が継承部会員に政治的発言の自粛を求めた。波紋を広げ撤回されたが、被爆者の「語り」が問われるきっかけになった。なぜ語るのか、何を残そうとしているのか追った。(報道部・高比良由紀)
「材木とか、瓦とか、なんかしらん石ころ…。竜巻の格好でぐんぐん、もうて(舞って)」。一月末、長崎市内の小さな会議室。会場を埋めた高校生、若い教師、中年の夫婦、年老いた被爆者―。多くは目を閉じ、室内に響く声に耳を傾けた。
広島、長崎の被爆者二百八十四人の肉声を収めたCDの試聴会だ。CDなど録音や録画を通じてしか、「あの日」を知ることができない日が迫っている現実がそこにあった。
CDは、元長崎放送記者の伊藤明彦さん(69)=東京都調布市=が一九七〇年代から収録した音声テープを基に、被爆前夜から約一カ月間を再現している。
「被爆者は生きることで、自分を殺そうとした原爆を否定し返す。語ることは社会で人間らしく生きる営みなんです」。伊藤さんはこう話す。
「死んだ人を飛び越え、見捨てて逃げた」「(家族が)ぱたぱたーっと死にました」。CDには極限下に置かれた人間の醜さ、無力感があった。
一月のCD完成後、複製を希望する団体、個人が殺到。寄贈先は七百六十五に上り、CDの音声をインターネットを通して聞くことができるホームページも開設され、反響は全国に広がった。
「原爆の非人間性をはね返そうとする被爆者の声が、皆さんの感性に働き掛けたのでしょう」。核拡散防止条約(NPT)体制が崩壊し、紛争が絶えない世界で、伊藤さんは被爆者の声を求める市民の良識を心強く思う。
「痛苦をしのび、不安と苦悩を背負い、使命感で生かされている存在」。哲学者で長崎大教育学部の高橋眞司教授は、自著「長崎にあって哲学する」で被爆者をこう定義する。
「原爆に押し流されるだけの受動的生命から、『再び被爆者をつくらない』ために、原爆を否定し、核兵器を廃絶しようと努力する積極的生命への変容を遂げた」。こうして被爆者たちは語り始めたという。その声に、高橋教授はこんな意義を見いだす。「世界の歴史を変え、核時代から脱却する力になる」―。