熱い骨
 =祖母から孫へ= 5(完)

瓊浦高等女学校の卒業生が見守る中、原爆殉難者慰霊碑に、平和への祈りを込め千羽鶴をささげる瓊浦高生徒=9日、長崎市伊良林2丁目

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熱い骨 =祖母から孫へ= 5(完) 受け継いでいくもの 碑に刻まれた無念さ

2006/08/12 掲載

熱い骨
 =祖母から孫へ= 5(完)

瓊浦高等女学校の卒業生が見守る中、原爆殉難者慰霊碑に、平和への祈りを込め千羽鶴をささげる瓊浦高生徒=9日、長崎市伊良林2丁目

受け継いでいくもの 碑に刻まれた無念さ

「嵐はさけび 天地は裂け砕かれつ 眞をとめの まことの生命 國に殉じぬ(中略)永久にしのばぬ その勲しを」―。私立瓊浦高=長崎市伊良林二丁目=の校門脇にある「原爆殉難慰霊之碑」には、故・瀬戸口千枝さんの「慰霊のうた」が刻まれている。同碑の前で九日開かれた慰霊祭には、瓊浦高等女学校(当時)の卒業生ら三十四人も出席、動員中に被爆し亡くなった瓊浦高等女学校(当時)の三宅みや子教諭や六十三人の生徒をしのんだ。

卒業生らは同碑に献水、献花したほか、瓊浦高の生徒代表らも千羽鶴をささげた。碑の前で瀬戸口さんの詩を朗読した長坂美乙さん(18)=同高三年=は「何も悪いことをしていないのに、いきなり殺されてしまった無念さ。それでも生きようとする意志、平和を願う心が伝わる」と、長崎の今を生きる世代に、瀬戸口さんの思いは根付いているようにもみえる。

しかし、現実に目を向けると、伊藤一長・長崎市長が長崎平和宣言で指摘したように、核不拡散・廃絶の動きは進んでいない。瀬戸口さんらすべての被爆者が求めた「核のない平和」とは、程遠いのが現状だ。

瀬戸口さんの孫、下見温世さん(43)=諫早市馬渡町=は、今年の九日午前十一時二分を同市内の仕事先で迎え、心の中で黙とうした。被爆体験について一言も家族に語ろうとしなかった祖母の思いに「熱い骨」を通じ、初めて触れた夏。「祖母が受けた悲しみや苦しみを『熱い骨』を読み、ごく一部かもしれないが共有できた気がする」と話す。

「熱い骨」のあとがきは「原爆の悲惨さをしん底から味わった者の叫びであることを知っていただきたいと思います(中略)。原爆戦争の犠牲者はヒロシマ、ナガサキだけでもういやというほどでした。もうたくさんです。」という瀬戸口さんの言葉で結ばれている。「二度と同じ苦しみを味わう人が出ないように、祖母から受け継いだ思いを、まず自分の子どもたちの世代に伝えることから始めたい」と、下見さんは静かに語る。

またたくま十年は過ぎてこの丘にいくばく続くあやふき平和(「熱い骨」より)。