国よ、償え
 =原爆と東京大空襲= 6

「受忍論は、国民が国家に命をささげるのは当然という考え方だ」と批判する直野さん=長崎市岡町、長崎原爆被災者協議会講堂

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国よ、償え =原爆と東京大空襲= 6 系 譜 今なお生きる受忍論

2006/08/03 掲載

国よ、償え
 =原爆と東京大空襲= 6

「受忍論は、国民が国家に命をささげるのは当然という考え方だ」と批判する直野さん=長崎市岡町、長崎原爆被災者協議会講堂

系 譜 今なお生きる受忍論

一九八〇年十二月、東京・赤坂のホテル。厚生大臣の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)の座長、茅誠司と、委員の田中二郎は、答申の記者会見に臨んでいた。答申は「戦争の犠牲は国民が等しく受忍しなければならない」と「受忍論」を打ち出していた。

狙いは、韓国人被爆者、孫振斗を原告とする七八年の最高裁判決が指摘した、原爆医療法(当時)の国家補償的性格を打ち消すことだった。

会見は奇妙な様相を呈していた。座長の茅を差し置いて、田中が「主役」のように記者団の質問に答えたからだ。

田中は元最高裁判事。基本懇答申の十二年前の六八年、日本が連合国と締結したサンフランシスコ平和条約で失った在外資産の補償を求めてカナダからの引き揚げ者が国を訴えた裁判で、受忍論の判決を言い渡した十三人のうちの一人だ。

科学者や文学者らでつくる「世界平和アピール七人委員会」の委員で東京大総長も務めた茅は「お飾り」だった。

七月八日、祖父を広島の原爆で失い、母親も被爆者の九州大大学院助教授の直野章子(34)は長崎市内で受忍論をテーマに講演。司法判断の中で資産に始まった受忍義務が生命や身体にも適用されるようになり、シベリア抑留者のように四七年の国家賠償法施行後の被害にも拡大された「系譜」を語った。

東京の杉並区原爆被爆者の会幹事の吉田一人(74)は「受忍論は過去のことではない」と言う。

長崎市でも作成に向けた協議が始まった国民保護計画。その基となる国民保護法は「国民保護措置の実施に必要な援助の要請に協力した者の死亡や負傷は補償する」と規定している。吉田は「裏を返せば協力を要請されなかった一般国民には補償しないということ」と指摘する。

受忍論は乗り越えられないのか。行政法を専門とする龍谷大大学院教授の田村和之(64)は「『等しく受忍すべきだ』と言うのなら、被害も等しかったとの前提が必要だが、そうではない」と論理的整合性を疑問視する。さらに被爆者に援護をした時点で「すべて受忍しろという原則は一定破られている」とみる。

受忍論を崩したとしても、原爆や空襲の被害は明治憲法下の戦時中のことで、国家賠償法施行前の国の賠償責任を否定する「国家無答責の法理」の壁にもぶち当たる。

ただ最近になってこの法理を退ける司法判断もいくつか出てきている。広島で被爆した韓国人元徴用工の国家賠償請求訴訟の広島高裁判決(二〇〇五年一月)は、「(明治憲法下で)実定法上、国に損害賠償責任が存在しないことが確定していたのではなく、単に賠償請求を実現する法的な手段が認められなかったにすぎない。限定された範囲内であっても個人の尊厳は尊重されており、これを否定することは許されない」とした。(文中敬称略)