戦争被害 被爆者は連帯の輪を
一九九四年十一月二十五日の衆院厚生委員会。被爆者援護法に「国家補償」の四文字を盛り込むかどうかで政府と野党の攻防が続いていた。
「国の戦争責任に基づく補償を意味すると受け取られる可能性が強い。その場合は一般戦災者との均衡上の問題が生じる」。井出正一厚生大臣(当時)は答弁した。
結果、援護法には事業主体としての「国の責任」という文言が記述されるにとどまり、被爆者は失望した。
国は戦後、被爆者の放射線被害がほかの戦争被害とは異なる「特別の犠牲」と位置付け、医療給付や諸手当の支給といった援護策を講じてきた。同時に援護がない一般戦災者との「均衡」を盾に、できるだけ中身を抑えようともした。
放射線生物学を専門とする広島大名誉教授の鎌田七男(69)は「空襲被害者と違い、被爆者には消すことができない染色体または遺伝子の異常がある」と説明する。被爆者の生と死を見つめた著書がある長崎大教授の高橋眞司(64)は「一般戦災者の苦しみの頂点に被爆者の苦しみがある」と話す。「核爆弾は兵器開発の最も先鋭化したもの。核の熱線、爆風、放射線は兵器の中で比類のない破壊力を持つ」からだという。
一方、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)事務局長の田中熙巳(74)は「死」について「戦争で生きる権利を奪われた点は被爆者も一般戦災者も同じ」と話す。「死没者補償の闘いは一般戦災者に呼び掛けるべきだ」との思いは以前から持っていた。が、被団協内には九〇年代半ばごろまで「声を上げていない一般戦災者のことまで取り上げる必要はない」との意見も根強かったという。
在韓被爆者問題市民会議代表の中島竜美(78)は「原爆被害の特殊性を強調しすぎると、戦争被害の普遍性がなくなり、国はだれにも補償しなくなる」と指摘する。
中島は七〇年代、被爆者健康手帳の取得を求めた韓国人被爆者、孫振斗の裁判を支援。七八年には原爆医療法(当時)の制度の根底に「国家補償的配慮があるのは否定できない」との最高裁判決を引き出した。これがその後の在外被爆者訴訟の判断の基礎となる。
中島には被団協に苦い思い出がある。孫裁判の支援を要請したが断られたという。被団協は孫が原爆症治療のためとはいえ、「密入国者」だったことが引っ掛かった。
中島は、被団協が八四年に発表した「基本要求」の中にある「国家補償の援護法制定が一般戦争被害の補償に道をひらく」との論理を取り上げて言う。「自分たちの運動の結果、影響が及ぶという考え方には、一般戦災者に積極的にアプローチする意思は感じられない。東京空襲の裁判を被団協の運動に取り込み、世論を盛り上げなければならない」
被団協は六月の総会で二〇〇六年度の運動方針を打ち出し、次の一文が明記された。「空襲被害者や中国残留孤児ら国内外の戦争被害者が政府の戦争責任を問う訴訟を次々と提起している。その運動に連帯する」
(文中敬称略)