「彼」と「彼女」の平和考
 =高校生1万人署名活動OB= 1

原爆症で亡くなった祖母の悲しみを胸に核兵器廃絶を訴え続けた高校時代の草野さん=2002年8月19日、長崎市内

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「彼」と「彼女」の平和考 =高校生1万人署名活動OB= 1 筑波大4年 草野史興さん 署名携えジュネーブへ

2006/07/21 掲載

「彼」と「彼女」の平和考
 =高校生1万人署名活動OB= 1

原爆症で亡くなった祖母の悲しみを胸に核兵器廃絶を訴え続けた高校時代の草野さん=2002年8月19日、長崎市内

筑波大4年 草野史興さん 署名携えジュネーブへ

「核兵器廃絶を求める署名にご協力をお願いします」―。休日の午後、長崎市中心部の鉄橋で一列に並ぶ若者たち。高校生一万人署名活動実行委のメンバーだ。集めた署名は、高校生平和大使が毎年、スイス・ジュネーブの国連欧州本部に届けている。いまや被爆地長崎の高校生は「平和運動の後継者」として全国の注目を集める。そんな彼らは卒業後どんな道を歩んでいるのか。平和への取り組みを続けているのか。実行委OBで関東の大学に進学した「彼」と、県内で社会人となった「彼女」を追った。

「長崎に生まれた者として、平和な世界の実現に向けて活動するのは使命だと思う」

六月中旬、梅雨の小雨がぱらつく筑波大(茨城県)のキャンパスを歩きながら、同大四年の草野史興さん(21)は高校時代から変わらない「平和への思い」を熱っぽく語り始めた。

県立長崎西高一年だった二〇〇一年の冬。先輩に誘われ、「面白そうだな」と軽い気持ちで、核兵器廃絶の署名活動の開始に参加した。これが、今では多くの人が知る「高校生一万人署名活動実行委」だった。

「始める前は平和について考えたこともなかったんですよ」。被爆者の話も聞いたことはなかった。

同年の高校二年の夏、長崎市内であった「ながさき平和大集会」。一人の被爆者が、被爆したという理由で結婚できず、仕事にも就けなかった苦しみを会場の人たちに訴えた。原爆が被爆者の人生をも狂わせたことを知ってショックを受けた。心の中で「なにか」が変わった。

世界の核情勢、国の被爆者への援護政策―。知らないことが多すぎた。長崎で育ちながら恥ずかしかった。図書館に通い本や新聞で調べた。ニュースも真剣に見た。平和を語るのに必要な知識、そして被爆者の思いを頭と心に刻み込んでいった。

県外にも仲間と足を運び、街頭で署名を集めた。「核兵器がなくなるわけがない」。冷たい視線も浴びた。だが、それ以上に多くの人が署名に協力した。活動の原動力となった。

個人的な思いもある。十二月十四日は父の誕生日。しかし、一度も祝ったことがない。母に理由を尋ねると、二十四年前のこの日、被爆者だった祖母が原爆症の乳がんで亡くなったという。草野さんが生まれる前だった。「父の悲しみが伝わってきました。そして私が祖母に会えないのは原爆のせいなんです」

〇二年、高校三年の夏。集まった署名を国連欧州本部に届ける五代目の「高校生平和大使」に選ばれた。現地では、何度も練習した英語で祖母のことを話した。エンリケ・ロマンモレー国連軍縮局ジュネーブ部長が抱きしめてくれた。

大役を終え帰国。慣例で署名活動も引退した。だが「平和活動を広げたい」との思いは増すばかりだった。