被爆61年 語り部の思い 7

「被爆者の言葉は魂の言葉」と話す谷口さん。子どもたちに「絶対死なないで」と心の底から呼び掛ける=長崎市平野町、長崎原爆資料館

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被爆61年 語り部の思い 7 谷口恵美さん(83)=長崎市風頭町 命絶つ子に聞かせたい

2006/07/18 掲載

被爆61年 語り部の思い 7

「被爆者の言葉は魂の言葉」と話す谷口さん。子どもたちに「絶対死なないで」と心の底から呼び掛ける=長崎市平野町、長崎原爆資料館

谷口恵美さん(83)=長崎市風頭町 命絶つ子に聞かせたい

「命を大切にしてください。人をいじめないでください。そして、長生きしてください。私はこれを言うために、語り部になったんです」―。

被爆当時は二十二歳。長崎市飽の浦町の三菱長崎造船所電機設計課で事務作業をしていた。「窓の外が一瞬でオレンジ色に染まった。すさまじい爆風が吹き込み、気絶した」。宮崎県から訪れた三十三人の中学生を前に、自らの体験をゆっくりと語り始めた。

語り部の存在を初めて知ったのは、今から十一年前。全国的に多発する子どもの自殺に心を痛めていた時期だ。「これだ。私は命の大切さを訴える”語り部”になりたい」―。

活動を始めたばかりのころ、思いをうまく伝えられず悔しい思いをした。そのたびに自分にこう言い聞かせてきた。「自分で見た景色、聞いた音、感じたことをそのまま話せばいい」と。

講話は続く。「『黒い雨』とよく言われますが、私が浴びた雨に色は付いていませんでした。後で体に悪影響が出ることも、まったく知りませんでした」。大げさな表現は極力使わない。簡単な言葉遣いこそ、原爆の恐ろしさ、悲しさを聞き手の心に響かせる。

その後も、黒焦げの死体が転がる惨状などをとつとつと語り続けた。そして「皆さん、長生きしてください。これで終わります」。一時間弱の講話が終わった瞬間、生徒は「ふーっ」と大きく息をつき、張り詰めていた空気が緩んだ。

生徒代表が感想を述べた。「周りの人たちを大切に思い、命を大切に生きていきたい」。講話に心を動かされたのは、実は生徒だけではない。同行していた校長が谷口さんに駆け寄り、「校内のいじめ問題に困っている。今日はいい話を聞くことができた」と、そっと伝えた。

会場によっては一時間立ちっ放しのときもある。のどのポリープ除去手術を受けた経験もある。「体力的にいつまで続けられるか分からない」。穏やかな笑顔の裏に、大きな不安がよぎるのも事実だ。しかし、どんなに生きたいと願った人も一瞬で命が奪われたあの日から六十一年。「自ら命を絶つ子どもたちに、今こそ伝えなければ。私は命の大切さを訴える”語り部”でありたい」